2024年1月25日木曜日

『レビ記』緒論

『レビ記』緒論


 内容・構成

・ モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の第三番目の書。

・ 出エジプト記の最後は、荒れ野に建造された幕屋の完成をもって終わる(参照、出エジプト40:34-38)。これに続くレビ記は、その幕屋で為されるべき祭儀(礼拝)の諸規定について綴る。

・ 本書には「聖」という語が120回使用されている。本来は神に近づき得ない、聖なる神に捧げられるに相応しい、聖なる礼拝について語るところに、本書の意図がある。礼拝の場所となる幕屋については出エジプト記に記されているため、レビ記では祭儀を執行する祭司、そして実際の祭儀規定について記す。


 概要

1-7章 各種捧げ物に関する諸規定

8-9章 アロンの子らの祭司任職

10章 祭司ナダブとアビフの違反と死(物語的叙述)

11-15章 清浄規定

16章 至聖所での大贖罪日に関する諸規定(物語的叙述)

17-26章 「神聖法集」

27章 「神聖法集」の補遺:捧げ物に関して



 資料

一般的な学説では、祭司資料(P資料)が大部を占めるとされる。レビ記の中には、一つの独立した資料である「神聖法集」が収録されていると言われる(17-26章)。


・ 創世記からレビ記へと至る流れが大切:天地創造 →族長物語 →出エジプトの出来事 →荒れ野での放浪 →荒れ野での幕屋建設命令 →幕屋での礼拝諸規定

・ 旧約から新約へ:不完全な罪の赦しのための犠牲、そして祭司:民の罪の赦しのための祭儀は、反復的、継続的に行わなければならなかった。さらに、祭司もまた自分の罪の赦しのための供え物を必要としていた。罪の赦しのための完全な犠牲の捧げもの、そして永遠の大祭司なるイエス・キリストを指し示す。この観点に基づいた新約の書が『ヘブライ人への手紙』(参照、9章)。

・ モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の第四番目の書。

・ ヘブライ語聖書では、冒頭の言葉「そして彼(主)は言った(モーセに)」を書名としているが、タルムード(ユダヤ教に伝わる、6部63編から成る文書群。神がモーセに与えた口伝律法を集めたものとされる。)においては、1章と26章において行われている人口調査に因んで、「数の書」と呼ばれ、また七十人訳聖書(紀元前3世紀中葉から紀元前1世紀にかけて、ディアスポラのユダヤ人のために翻訳されたギリシャ語聖書。プトレマイオス2世のもと、72人の訳者が72日間かけてモーセ五書の翻訳を行ったところ、すべての訳者による翻訳が一致したという伝説から、「七十人訳」と呼ばれる。)では、「アリスモイ」(数)と呼ばれることから、日本語では「民数記」とされた。


 内容・構成

・ 出エジプト記の続きであり、イスラエルの民のシナイにおける最後の滞在の20日間と、その後の荒れ野での放浪の40年間、そしてヨルダン川東岸占領に至る数ヶ月間を物語る。出エジプト記とレビ記は脱出後の1年間を叙述することから言えば、民数記は荒れ野での民を語り継げる書と言える。

・ 荒れ野での民の不信、神への反逆、モーセへの批判・叱責に表される民の堕落した姿を幾度も描く。その一方、反逆の民に対する神の忍耐深い導きを告げることで、読者に堕落への警戒と、神の忍耐を軽んじることなくその慈愛に慰めを得るよう勧告する。

シナイ滞在の最後 1:1-10:10

1-4章 人口調査

5-7章 種々の律法規定

8:1-10:10 祭儀規定

荒れ野での放浪 10:1-22:1

10:1-12:16 民の不満、モーセの苦しみ、70人の長老任命

13-14章 カナン偵察、民の泣き言

15章 種々の規定

16-17章 コラ、ダタン、アビラムの反逆

18-19章 祭司、レビ人に関する諸規定

20:1-22:1 メリバ(争い)の水の出来事、アロンの死、青銅の蛇

モアブ平野(エリコに近いヨルダン川対岸) 22:2-36:13

22:2-24:25 バラクとバラムの物語

25-31章 種々の規定、第二回目の人口調査

32-36章 種々の規定、部族と地名に関するエピソードなど、雑録


宗教学とは何か

宗教学とは何か


 【要約】

宗教団体、宗教的文化、宗教的現象を研究対象とする学問的営為。信仰させることは目的ではない。特定の宗教教義や信仰を前提として、教化、護教の目的として為される教学、宗学とは異なる。全ての宗教を客観的かつフラットに見る。


 【本文】

 宗教学とは、宗教団体、宗教的文化、宗教的現象を研究対象とする、学問的営為である。よって、特定の宗教における信仰をもたらしたり、深めたりするものではない。


 宗教学の立場

 宗教学とはまた、キリスト教やイスラム教における神学、神道や仏教における教学、宗学とは異なる。これらは、特定の宗教教義や信仰を前提として、教化、護教の目的として為される思想的営為であるから、すべての宗教を客観的かつフラットに見る宗教学とは異なるものである。


 宗教学の基本的な姿勢の一つは、たとえ自分が信じている宗教といえども、あくまで客観的に事実を扱い、主観的な価値判断を避けることである。加えて、複数の諸宗教を比較する際、優劣の判断はしない。現象の一つとして扱う。


 二つ目は、宗教を神や超自然的な世界から扱うのではなく、人間の営みの一つとして、生活現象の一局面として捉えることである。宗教学から見た宗教とは、神や真理の問題ではなく、結局、人間自身の問題である。神や真理といったものは、人間の思考や心理から発生しているものとして位置づけ、そのメカニズムを分析することが求められる。


 三つ目は、特定の一宗教のみ扱うのではなく、複数の宗教を資料として扱うことである。一宗教だけ観察していては、他と比較ができないからである。


 宗教学と宗教史の違い

 宗教学は、宗教形態や信仰内容を、他宗教と比較しつつ、体系的に整理するという研究方法を採る。他方、宗教史は、宗教の発生、変遷を、適宜他宗教との歴史的な繋がりを意識しながら、歴史的な視座で観察する。


 宗教学に関連する学問

 宗教学に関連するか、もしくは、宗教学の中の専門分野の一つとし数えられる学問として、以下を挙げ得る。比較宗教学、宗教心理学、宗教社会学、宗教哲学。


 宗教学が成立するに際して、1800年代後半、例えばフリードリヒ・マックス・ミュラーによる東洋古典、インド学研究、比較言語学、あるいは神話学の研究が進展し、その追い風を受けて、比較宗教学の分野が確立されていった。Science of religion(宗教学)という名称は、このマックス・ミュラーにより使用され始めたものである。


 それ以降、C. P. ティーレ、N. ゼーデルブロムらによって、歴史学や考古学の成果が宗教学に取り込まれるようになっていく。同時に、M. ヴェーバーやデュルケムにより社会学的な視点が宗教学に盛り込まれ、宗教社会学が成立していく。心理学も急速に発展を遂げていったために、心理学的な分析を採用した宗教心理学がE. D. スターバック等によって開拓されていった。


 さらに、未開民族の研究が進んでいくと、民俗学、人類学が発達し、これらを吸収した宗教人類学等ももたらされていった。


 【関連項目】

宗教学

宗教学

宗教 religion

 【要約】
人間と神聖なものとの関係や営み。英語のreligionの語源は、ラテン語のrelegere (再読する)もしくはreligare (つなぐ)。日本語の訳語の「宗教」は、漢訳仏典で使われていた仏教用語で、それを明治期にreligionの訳語とした。

 【本文】
 英語のreligionの語源は、ラテン語のrelegere (再読する)もしくはreligare (つなぐ) に由来すると考えられている。日本語の訳語として、「宗教」という用語が使われいるが、これは、古来より漢訳仏典で使われていた仏教用語である。それを明治期においてreligionの訳語としたことが、今日の「宗教」という日本語の由来となっている。

 宗教とは、人間と神聖なものとの関係や営みを指す。いわゆる「神」も、この神聖なるものの一つの在り方である。宗教において何を重視するかは様々で、例えばR. オットー(ドイツ・プロテスタント神学者、1869-1937、『聖なるもの』、宗教を他の何かではなく、それ固有のものとして考察)は「聖なるもの」への畏れを重視し、シュライエルマッハーは絶対的依存感情(19世紀ドイツ・プロイセン、1768-1834、自由主義神学)を宗教の中核に捉え、他方、É. デュルケム(フランスの社会学者、1858-1917)は、共同体における機能面(社会学的)を強調し、社会的結束のための象徴と理解した。

 以上のように、「宗教」という概念においては、宗教的感情や、あるいは個人を越えた共同体レベルでの社会的機能をその中心と見なす等、種々の捉え方がある。ただ、一般的な意味での「宗教」とは、個人または共同体のどちらかに限定されるものでもなく、また、単に宗教的感情や意識の側面に留まるものでもなく、それらを網羅し、個人と共同体の相関関係の中で展開される人間の行為全般であり、その末に生み出された宗教集団・教団、さらには文化や歴史をも含む。狭義としては、体系化された信仰内容(教義)を持つ何らかの形をもってある程度組織化された集団を指す。

 関連項目

2024年1月24日水曜日

会衆派(会衆主義)

会衆派(会衆主義) Congregational Church

【要約】

「組合教会」とも。各個教会の独立性を主張し、各個教会の会衆による自治を教会運営の基本とするプロテスタントの教派。16世紀イギリスのロバート・ブラウンらによる「分離派」に源流を持つが、ピューリタンら移民後の米国で興隆。


本文

 「組合教会」とも呼ばれる。上位組織から支配を受けることのない、各個教会の独立性を主張し、各個教会の会衆による自治を教会運営の基本とするプロテスタントの教派。


 元々は、16世紀イギリスにおけるロバート・ブラウンらによる「分離派」「ブラウン派」に源流を持つが、ピューリタン、ピルグリム・ファーザーズらの移民以降のアメリカ、特にニューイングランドを中心に興隆した。そのため、アメリカ建国の精神や、国家制度の影響も大きい(ピューリタン神権政治)。ハーバード、イェール、アマーストなどの大学が創立された。


 カルヴィニズム的な神学、ピューリタニズム的精神を特徴としていたが、会衆主義という民主的制度の影響により、自由主義的な進学へと傾倒していった。


 1810年に海外宣教組織であるアメリカン・ボードが設立され、日本、中国、インドに宣教師が派遣された。日本では、同志社の創立者である新島襄を支援したことで知られる。


 日本における会衆主義の学校として、同志社、神戸女学院、大阪女学院、梅花学園などが挙げられる。


ロバート・ブラウン

ロバート・ブラウン Robert Browne, ca. 1550‐1633


【要約】

イギリス会衆派教会の祖。トマス・カートライトに感化されて長老主義に傾倒したが、上位組織の支配を受けない各個教会の独立性を強調し、会衆主義の原型を生み出した。イギリス聖公会から弾圧を受けてオランダに亡命。初期会衆派は「ブラウン主義者」「分離派」と呼ばれた。


 本文

 イギリス会衆派教会の始祖。


 トマス・カートライトに感化されて長老主義に傾倒したが、上位組織の支配を受けない各個教会の独立性を強調し、後の会衆派(会衆主義)の原型となるイギリス会衆主義生み出すに至った。

 

 イギリス聖公会から弾圧を受けてオランダに亡命したが、帰国後、獄中で死亡した。初期会衆派は「ブラウン主義者」「分離派」と呼ばれる。


 各個教会は上部組織からも独立し、他教会とは同盟関係を結ぶ。

マタイによる福音書 3章1-12節 「洗礼者ヨハネ」

 教会学校教案「洗礼者ヨハネ」2012年4月15日

マタイによる福音書 3章1-12節


 概要

 今回の聖書箇所は、洗礼者ヨハネの宣教を中心に扱っています。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は(「共観福音書」と呼びます)、主イエスの伝道の開始に先立って現れた洗礼者ヨハネについて語り、一様にヨハネをイエスの伝道を準備をした人として位置づけています。 <旧約の時代から主イエスの新約の時代への移り変わり>というテーマは、マタイ福音書全体のメッセージの根幹ですが、洗礼者ヨハネは旧約から新約への橋渡し役をした人と言えます。そのヨハネは主に、一に悔い改めを求め、二に悔い改めの洗礼を行い、三に主イエスの訪れを宣言したことに集約されます。つまり、主イエスの伝道の備えをし、この方を来たるべき救い主として指し示しました。これは今日の箇所の中心であると同時に説教のポイントにもなりますので、クリアに捉えておきましょう。


 解説

 「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて・・・」(1節)

 「そのころ」とは、主イエスが公生涯(伝道の旅)を始められた直前の時代を指します。


「悔い改めよ。天の国は近づいた」(2節)

 洗礼者ヨハネは、主イエスに先立って現れ、その備えをしました。それは、人々の思いを神の方に向けさせて、彼らが<神に立ち返る>(「悔い改め」の原義)よう導くことでした。また、「天の国」はマタイが好む表現で、マルコやルカでの「神の国」と同じものです。「天の国は近づいた」とは、神が為された創造と御業のすべてが、今やクライマックスの時代を迎えた、ということで、主イエスは既に始まった神のご支配と、終末におけるその完成を語られました。ですから「主の祈り」においても、「御国が来ますように」(6:10)と祈られています。マタイによれば、主イエスもこれと同じ言葉をもって福音を宣べ伝え始められました(4:17)。


「荒れ野で叫ぶ者の声がする・・・」(3節)

 イザヤ四〇・三からの引用。


「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め・・・」(4節)

 エリヤを初めとした預言者特有の服装であったことが、列王記下1:8からわかります。「いなごと野蜜」は、かろうじて荒れ野で手に入る食べ物です。贅沢を控えて神のために禁欲を志す姿勢を表しています。


「罪を告白し・・・洗礼を受けた」(6節)

 洗礼は魔術ではありませんから、信仰をもって神に「罪を告白」することが必要です。また、「洗礼」は当時の儀式的な洗礼と違って、繰り返しのない一回限りの行為でした。


「ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来た」(7節)

 彼らは本来イスラエルの民を教え、導くべき立場にある者たちです。ヨハネは彼らを叱責していますから、彼らの歩み同様、この時も真摯な思いではなく、中途半端な気持ちでやって来たのでしょう。<中途半端>は信仰において最もいけません。真摯に!


「蝮の子らよ」(7節)

 「蝮」とは荒れ野に生息する毒蛇を指しますが、腹黒い人に対する厳しい表現です。「差し迫った神の怒り」は、 <神の裁き>です。罪はそのままに放置されません。神の前で問われる時は必ず来るのであり、しかもその時は「差し迫っ」ています。


「悔い改めにふさわしい実を結べ」(8節)

 大切なことは、神に御心にかなった新しい生き方を求めていくことです。それが「実を結」ぶということです。ただし、<結果>ではありません。何度失敗してもよい。その代わり何度でも神に立ち返って、励まされてまた生きようと願う姿勢です。それが「悔い改め」です。


「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる・・・」(9節)

 信仰は借り物では駄目です。なぜなら、神は人の心の中をご覧になるからです。その人が本当に神を求めるのでなければ!厳しい言葉のようですが、石ころを作りかえもできる神が、私たちを良き人に作りかえたいと願っておられます。その神の思いを侮ってはならないという思いが、ヨハネの言葉の厳しさに表されています。その御業を為さる方が主イエスであり、ヨハネは自分を「履物をお脱がせする値打ちもない」(11節)と語っています。履き物を脱がす仕事は奴隷でもしないような仕事ですから、ヨハネがキリストに対していかに自分の立場をわきまえていたかが知られます。


「手に箕を持って」(12節):「箕」を使って麦を持ち上げると、風が実ともみ殻をわけ、もみ殻は後で燃やされます。「火」、そして風も神の審判を示します。こうした農作業のイメージは、裁くべき罪人をえり分ける神の業を示す例えとして旧約時代からよく使われていました。


 まとめ

 今回も内容が盛りだくさんの箇所です。前半の悔い改めの主題と、中心聖句の11節を含むキリストの訪れのメッセージが二本柱となります。八節の解説等を今一度読んでいただき、悔い改めとは何かをビシッと自分の言葉で語られるようにして下さい。洗礼者ヨハネは、人々がキリストを自分の中にお迎えするための働きをしたというのならば、皆さんもまたヨハネのような働きを、教会学校で為さっていると言えます。ヨハネの如くキリストを指し示して下さい。主の祝福を祈ります。

(茨木春日丘教会 大石健一)


2024年1月23日火曜日

『ヨブ記』緒論 

 『ヨブ記』緒論


 旧約における位置、本書の名称、主題、ストーリー

 ヘブライ語聖書においては、「律法」(トーラー:創世記〜申命記)、「預言書」(ネビーム:イザヤ書、エレミヤ書等)、「諸書」(ケトビーム)という三区分の内、詩編や箴言などと共に「諸書」に含められている。また、『ヨブ記』という本書の書名は、ヨシュア記、エステル記と同様に、本書の中の主人公、すなわちヨブから取られている。

 本書の主題は、義人がなぜ理不尽な苦難を受けるのかという根源的問題、すなわち、なぜ善人が虐げられ、悪人が栄えるのか、そしてなぜそれを神は放置しているのかという「神義論」に深く関わる。

 ヨブ記のストーリー自体は明瞭である。「ヨブは、利益もないのに神を敬うでしょうか」とのサタン言葉を受けた神は、ヨブがサタンの試みに晒されるのをよしとされる。災難に襲われたヨブは、当初は模範的な信仰者を装うものの、程なくするとこのような苦難を自分にもたらす神に対して、自らの正当性を主張し始める。彼を慰めに来た三人の友人たちとの対話はいつしか論争になり、双方の論は平行線のまま延々と対話は続く。その長き対話は、神の直接的な啓示、介入によって破られて、物語は終わる。


 執筆年代

 本書の執筆年代の特定は、本書の統一性という問題との関連で単純には為し得ない。後述するように、本書は、1:1-2:13のセクションと42:7-17のそれとによって本体部分が挟まれているという枠構造を持つ。詩文的な本論部分の方が、散文的な枠構造部分より古い蓋然性が高い。この本論部分をテーマ的に補強ないし改変する目的で、枠の部分が構成されたと考えられる。

 初期の知恵文学は基本的に、因果応報の世界観に基づいて、人生経験に裏打ちされた人生教訓的な黄金律を韻文的に提供することを特徴としている。しかし本論でも枠構造部においても、その伝統的な因果応報的理解の限界が暗示されている。初期知恵文学隆盛時代のイスラエルも過去のものとなり、懐疑的神観が発生し伝統的知恵理解が後退した、後期知恵文学時代が執筆年代として算定される。


 文体・文学的技法 

 本書の大部は、ヨブと友人たちとの間の論争により占められている。ヨブの主張→友人たちの主張→ヨブの主張→・・・というように交互に双方の主張が展開され、またその叙述の仕方は散文的である。また、本論部分を序章と結部によって挟むという文学形式は、イスラエル文学には珍しく、エジプト文学等からの影響が推測される。さらに、論争の背後にも古代東方世界の思想の影響が見て取れるが、神を創造主なる絶対唯一神として告白する点において際立った独自性が見られる。

 中心的な主題

 ヨブ記の中心的な主題は、ヨブ自身が主張しているように、「なぜ義人が理解不能な苦難に直面するのか」というものである。ヨブの友人たちの論点は基本的に、隠れた罪の報い、すなわち因果応報的に罰として与えられる苦難ということにあるが、ヨブは自分の被っている災難が罰としての範囲を不当に越えるものとして、友人たちにも神にも反論する。実は、この「義人の苦難の理由」という問に対する明快な答えは本書において提示されない。

 先のサタンの言葉「人は利益もなく神を礼拝するか」という問が陰で本書を貫いている。友人たちの言葉は正しいが、その信仰はやや法則化、硬直化したもので、生ける神に向かう信仰というより、自分の保持する信仰や神理解が神自身に取って代わられているという感は拭い得ない。一方、ヨブにも罪があり、彼の正当性の主張は正しくも誤ってもいるが、それでも彼の思いは生ける神自身に向かうものである。友人たちの正しくはあるが硬直化し形式化した信仰以上に、激しく神に問うヨブの姿勢が、生ける信仰として評価されている。


 また、ヨブはエゼキエル14:14、20等において、ノア、ダニエルと共に、義人を代表する人物として言及されている。ただし、彼らはアブラハムやモーセのようにイスラエルの伝統的・代表的人物ではなく、ノアは世界的洪水物語の中心人物、ダニエルは、シリアのウガリト叙事詩に見られる名前であり、ヨブの出身地ウズもまたアラムやエドムと推定され、やはり伝統的イスラエル人の系譜とは異質である。これも、伝統的イスラエル神学、知恵文学への部分的なアンチテーゼの表れとも考えられる。


 「人の損得によってではなく、神は神であるが故に、礼拝されなければならない。」これが、ヨブ記、同時に聖書の語る神礼拝理解である。


 構成

 序        1:1ー2:13 物語の発端、神とサタンとの対話

 本編    3:1ー42:6     

      1.3:1ー31:40 ヨブと友人たちとの論争

      2.32:1ー37:24 エリフの登場と説話

      3.38:1ー37:24 つむじ風の中からの神の言葉

 結部   42:7ー17 ヨブの回復と繁栄