2023年9月13日水曜日

バッハ「ライプツィヒ・コラール集」(全3回シリーズ)の開催へと至った経緯

 バッハはオルガン曲の曲集を幾つか作成していて、例えば、美しくも愛しいばかりのコラール前奏曲で構成された「オルガン小曲集」(オルゲルビュヒライン)やカノン変奏曲集、シュープラーコラール集、そして、2018年に茨木春日丘教会で開催されたオルガンコンサート(演奏:臼井真奈)で全曲演奏された「クラヴィーア練習曲集・第3部」等が挙げられます。


 その2018年「光の教会コンサートーー「クラヴィーア練習曲集 第三部」に萌え出ずるバッハの音楽構想ーーパイプオルガンと解説で織り成す文化講座コンサート」に際しては、楽曲の“解説”を取り入れたいとの案を臼井真奈さんより相談されました。というのも、「クラヴィーア練習曲集第3部」にはバッハの緻密で壮大な構想が埋め込まれていて、単に演奏を聞くだけではそれを知る由もないからです。曲単体の素晴らしさは折り紙つきではありますが、折角なら、背後に隠された深遠な構想までも知りたいというものではないでしょうか。さらに、こうした構想はキリスト教の信仰内容とも密接に繋がっているので、もし解説するというのであれば、信仰という観点からも説明できる人が求められます。以上の理由から、同曲集に秘められた深遠な構想を聴衆に伝えるべく、その役を私が担うことになりました。


 けれども私自身、キリスト教関連の分野で研究活動をしていたとはいえ、音楽やバッハについては全くの専門外です。楽譜も読めません。楽器も一切演奏できません。ただ、西洋音楽史については独学で学んでおり、また職務上、キリスト教の信仰内容は勿論のこと、背景となる時代史や文化史、宗教史などについては、多少の知識はあります。そこで、外国語文献も含めれば20か30冊くらいになるかと思いますが、100時間くらいは掛けて原稿とレジュメを準備して当日に臨みました。


 そのコンサートが無事に終わり、肩の荷が降りてホッとしていた時のことです。臼井真奈さんが私に、「次、是非ともやりたいのがあるんです!」と、目をキラキラ輝かせながら仰ってきました。「ライプツィヒ・コラール集という、それはもう素晴らしい曲集があって…」とお話を伺いつつも、浅学な私にはちっともピンと来ません。「それで、これも解説付きで、その奥深さを聞き手の皆さんにお話しいただけたらなと…」と、はにかみながらも少し強めの粘り腰でお話しされたので、「とりあえず私、勉強して考えますね」と返答したことでした。ところが、あのコロナ感染症が世界的に流行したため、実現に至る歩みは全く止まった状態となったのです。


 はやり病が収束した後、不思議なご縁もあって、2023年の5月、先の2018年以来5年ぶりとなるコンサートを開催する運びとなりました(トロント交響楽団のアシスタント・コンサートミストレスの木村悦子さんをお招きしての「光の教会コンサート 無伴奏ヴァイオリンの世界」)。好評を博してのコンサートとなり、喜ばしい限りであった一方、私の心の中では、臼井さんからのご提案のコンサートの開催には至っていないことが、ただただ気掛かりでした。かといって、コンサートを年間で複数回やるというのも負担ですし、私自身も上述の通り、するのであれば相当準備しないといけません。少なくとも前回と同様の100時間くらいは。この原稿執筆時から計算すれば毎日2時間、勉強机に向かわないと、宿題が終わらないわけです。しかし、タイミングや忙しさを気にしていれば、いつまでたっても物事というのは実現しません。「えいや!」と腹を括って、臼井さんにその旨お話ししたところ、急遽、11月5日(日)の日程でコンサートを開催するということが決まり、現在へと至っているという次第です。


 ということで私、「解説」を目下準備中です。先のクラヴィーア練習曲集第3部の際は、数学的とさえ言える全体構造の説明が多くなったのですが、今回については、当時のバッハの状況や、元の題材とされている「コラール」(要は聴衆が歌う讃美歌です)の歌詞内容の説明、また、「聴衆が歌う」という今でこそ当たり前となった習慣に至る歴史的・文化的背景、そして、バッハの敬虔なキリスト教信仰など、割ととっつきやすいテーマが多めになるのではと予想しています。音楽に通暁した方々向けの解説というよりは、初心の方が「ほぉー」「へぇー」と感じられるようなお話をしたいと考えております。

 どうぞ、コンサートをお楽しみにしてください。

茨木春日丘教会 牧師 大石健一

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