2024年11月27日水曜日

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第6回「マタイのイースター」

四福音書のイースター事情〜特にマタイ福音書に注目して


 はじめに

 こちらの講座、ついに最終回である第六回を迎えました。この原稿を皆様が読まれている現在、一月頃とまだ早めではありますが、来たるイースターに向けて、マタイ福音書における復活を見ていきたいと思います。ただ、サブタイトルに「四福音書」とある通り、前回のクリスマス編と同様、四福音書全体でイースター記事がどう書かれているのかを中心に見ていきます。マタイの復活記事については個別に「テキスト研究」で解説されることになるので、ここではあえて深掘りはしません。基本、他の福音書との比較の中で、「へえ、マタイの復活記事全体ってこうなっているのかあ」というテーストでお楽しみください。

 

 一 四福音書の復活記事 

 新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書が収められています。いずれの福音書も、十字架と復活に至るまでのイエス・キリストの足跡にスポットライトを当てた物語となっていて、大筋としてはどれも大差はないように感じられるでしょう。ところが、相違点も少なくなりません。たとえば、前回の特集内容であったクリスマスについては、赤子のイエスが登場するお話はマタイとルカのみで、マルコとヨハネにはありません。ヨハネの冒頭のいわゆる「キリスト讃歌」は、クリスマス礼拝の聖書箇所にされることは多いですが(例えばヨハネ一・一四「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた」)、マルコにおいてクリスマス的な要素は皆無です。

 それでは、キリストの復活についてはどうでしょう。「安心してください、ちゃんとありますよ」ただし、相違点は本当に各福音書で多々あり、もうバラバラと言っても過言ではありません。そこで、そうした相違点をこれからザッと見ていく前に、イースターに関連する記事の種類について整理しておきましょう。ただし、マルコ一六・九以下の記事は、後代における写本段階での付加とされているので、ここでの考察からは外しています。

 一・一 空の墓復活物語

 まず、キリストが葬られた墓を婦人たちや弟子たちが訪れる「空(から)の墓復活物語」が挙げられます。ラインナップとしては(括弧内は登場人物)、マタイ二八・一-八(二人のマリア)、マルコ一六・一-八(三人の婦人たち)、ルカ二四・一-一二(三名の婦人たちと一緒にいた婦人たち)、ヨハネ二〇・一-一〇(マグダラのマリア)。ベースは同じ舞台設定のお話しですが、登場人物が結構バラけていますね。

 一・二 復活顕現物語

 次に、復活したキリストが婦人(たち)または弟子たちの前に姿を表す「復活顕現物語」です。そのラインナップは、マタイ二八・九-一〇(二人のマリア)、マタイ二八・一八-二〇(十一人の弟子たち)、ルカ二四・一三-三五(クレオパ含む二人の弟子、いわゆるエマオ物語)、ルカ二四・三六-四九(弟子たちへの顕現)、ヨハネ二〇・一一-一八(マグダラのマリアへの顕現)、ヨハネ二〇・一九-二三(弟子たち)、ヨハネ二〇・二四-二九(トマス)、ヨハネ二一・一-一四(七人の弟子たち)、ヨハネ二一・一五-一九(イエスとペトロ)、ヨハネ二一・二〇-二三(イエスの愛しておられた弟子)。こうしてみると、ヨハネの顕現記事の品揃えは豊富ですね。

 

 二 各福音書の復活記事の構成

 それでは、四福音書ごとの復活記事の構成を見ていきましょう。マルコ、ルカ、ヨハネの順で、トリをつとめるのはマタイとなります。

 二・一 マルコに復活顕現記事がない理由

 前述の通り、マルコのオリジナルの結びを一六・八とした場合、その最大の特徴はなんといっても、空の墓復活物語はあっても復活顕現記事がないことです。「え?復活のキリストが現れないまま終わるの?」という感じです。しかもその結びは、婦人たちが恐れによって誰にも何も言わずに沈黙していたところで唐突に閉じられています。これはいまだに解決されない新約聖書学上の大問題の一つで、これまで誰一人として説得力のある回答を示した人はいません。これについての私見になります。前回の特集でも述べたように、マルコはキリストの壮絶な十字架死という劇的物語を書きたい人です。そして、その悲劇性をもって、イエスが神の子であることを浮き彫りにしたい人です。そのため、イエス誕生の記事にも触れず、洗礼者ヨハネの逮捕という意味深なところから始めて、上り調子の前半から転じて、受難の暗雲漂う後半へと突入し、終盤は急転直下、十字架の死へと叩き落としてきます。そこで私は思うのです。「これで最後に長々と復活顕現記事を入れたら、もう復活カラーで十字架色が消されてしまう」と。たとえるなら、讃美歌の「ちしおしたたる」を歌った後は、しばらくはキリストの死のショックに酔いしれたく、「復活はちょっと待ってよ」となるようなものと。その後の展開は読者なら皆がわかりきっていることですから、説明を入れれば入れるほど、文学的にはダサくなる感じがしないでしょうか。他方、そういうマルコがあるからこそ、マタイは自身の福音書の結びに弟子たちへの顕現を持ってきて、いわゆる後述の大宣教命令をもって大団円で閉じるという、マタイの重厚な書きっぷりのすごさを実感するというものです。雑な言い方をすれば、マタイが論述なら、マルコは小説とか劇場。

 二・二 やっぱりエマオにつきるルカ

 ルカの復活記事の構成は順番に、空の墓、エマオ途上の顕現、弟子たちへの顕現、最後にキリスト昇天、以上です。ルカの復活記事といえば、やはり「エマオ」です。エマオの記事の内容については、言わずもがなでしょう。ただ、ルカの特徴として見逃せないのは、キリスト昇天記事があることです。使徒言行録はルカの作品と見なされ、ルカ福音書と使徒言行録で二巻本構成であることは、有名な話です。ルカの終わり、使徒言行録の初めにおける昇天の場面を通じて、双方が繋がっているというわけです。

 二・三 顕現記事のオンパレードなヨハネ

 空の墓物語では、ペトロと「イエスが愛しておられた弟子」とが競争するのも印象的である一方、先にもチラッとつぶやきましたが、ヨハネにおける顕現記事の多さとオリジナリティは半端ではありません。空の墓の登場人物はマグダラのマリアだけですし、彼女限定の顕現記事も後に続いています。ヨハネ福音書以外では名前だけ触れられているに過ぎないトマスが登場し、彼のために会いに来られる復活顕現の逸話も、ヨハネ独自の記事です。七人の弟子たちが漁をする場面で現れたかと思えば、ルカの顕現記事のように焼き魚を食べまではしませんが、弟子たちに魚とパンを差し出されています。そして、ペトロに対する三度の「わたしを愛しているか」との問い。締めには、謎の「イエスの愛しておられた弟子」が登場して、最後は後書きで終わるというのがヨハネの構成です。


 三 マタイの復活記事の構成と特徴

 マタイ福音書の復活記事の全体構成は左記の通りです。

 二七・六二-六六 墓を監視する番兵 その一

 二八・一-八 空の墓物語(二人の婦人)

 二八・九-一〇 二人の婦人への復活顕現

 二八・一一-一五 番兵を監視する番兵 その二

 二八・一六-二〇 ガリラヤでの復活顕現

 三・一 番兵の存在が持つ意味

まず、マタイ独自の要素としては、墓を監視する番兵に関する記事を挙げることができます。要旨としては、祭司長、ファリサイ派、そしてピラトが協議し、弟子たちが死体を盗みに来て、後から「復活した」などと言い出さないよう、番兵を立てたというのが前半。後半は、空の墓物語の中で「震え上がり、死人のようになった」(二八・四)出来事を経て報告を果たしたところ、「弟子たちが死体を盗んだ」ということにしておけと指示され、ワイロまでつかまされたという筋書きです。以前の特集で私が述べたことを覚えていらっしゃるでしょうか。マタイとその教会は、ユダヤ人やユダヤ教の正統派から迫害を受けていて、追放処分を受けているさなかにありました。とすると、正当なユダヤ人の側から、「イエスの復活なんて、でっちあげだ!」と言われ続けていたとしても全く不思議ではありません。この揶揄に対する対抗として、番兵のくだりの記事を挟み込んだのだろうと推測されます。

 三・二 大宣教命令と、ガリラヤという場面設定

 復活のイエスが弟子たちの前に姿を現され、いわゆる「大宣教命令」を発せられる場面となっています。この舞台設定が特徴的で、その場所は、十字架と墓のあるエルサレムからわざわざ移動しての「ガリラヤ」となっています(二八・一六)。これは、「復活した後・・・ガリラヤへ行く」(二六・三二)という事前予告を受けてのもので、元々はマルコ福音書の筋書き(マルコ一六・七)を踏襲したものです。ただ、前述の通りマルコ先生は、十字架の死の衝撃を維持したまま書き終えたいものですから、「もう書かなくても、皆さんわかるよね」という感じでそこで筆を置いたと。それでマタイ先生は、マルコが書かなかったガリラヤ顕現記事をまとめて、自分なりの味つけも施した上で、自分の福音書の中で描いたのだ、というのが私の推測です。

 三・三 溢れ出すマタイの神学

 単にマルコの設定を引き継いだだけで終わらないのがマタイのすごさで、まずキリストの権威をバーンと打ち出しています(二八・一八「わたしは天と地の一切の権能を授かっている)。そして、そこからの「すべての民をわたしの弟子にしなさい」、「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」なさい(二八・一九)、「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(二八・二〇)という、宣教命令三連発が繰り出されています。私たちの教会の使命と合致するみ言葉が示されて、「我らの教会の源流、ここにあり!」と胸熱の展開です。

 そして最後の最後の最終節は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(二八・二八)です。思い返せば、クリスマス記事の中の一・二三において、イザヤ書のメシア預言が引用されての「神は我々と共におられるという意味である」という文言の伏線回収ではありませんか。旧約引用、預言成就、それを実現する方としてのキリスト、イスラエルを受け継ぐ教会、これらマタイ神学の伏線の全てが回収され、主イエスと弟子たちの大団円で終わるという、マタイの構成と神学の見事さよ!二〇年前のオリンピック選手の名言、「ちょー気持ちいい!」と叫びたくなる気持ちを胸に抱きつつ、ここで終わりたいと思います。


2024年11月25日月曜日

ドルトレヒト会議 Synod of Dort, 1618.11-1619.5 CE(ドルト会議)

 序

 1618-19年。オランダのドルトレヒトにおいて開催された教会会議。採択されたドルトレヒト信条は、オランダ改革派教会の信仰基準となり、アルミニウス派の主張を否定するカルヴィニズムの予定論を生み出した。別称、ドルト会議。


 本文

 アルミニウス派の予定論否定、ドルト信条採択

 オランダのドルトレヒトにおいて開催された教会会議。そこで採択されたドルトレヒト規定(ドルトレヒト信条)は、オランダ改革派教会、オランダ系移民教会の信仰基準となっただけではなく、予定論を骨子としたカルヴィニズムの体系をもたらすに至った。別称、ドルト会議。議長は厳格なカルヴィニストであるレーワルデンのボーヘルマン(Jan  Bogerman)。


 予定論を否定するアルミニウス派と、ゴマルス派との神学論争の終結を同会議は志向していたが、同時に、オランダのスペインに対する外交政策を巡る政争も絡む。オランダを初め、ドイツ、スイス、イギリスの改革派教会からも26名が参加。オランダ国内代表はすべてゴマルス派。


 アルミニウス派による予定論批判に対抗して

予定論を否定するアルミニウス派は、1610年にその主旨の宣言を発表。これに対抗して、同会議において、アルミニウス派の宣言の5項目に対応する5章構成の規定、すなわちドルト信条を採択。


 日本基督一致教会による1878年の信条採択

日本との関わりでは、1878年、日本基督一致教会がこれを信仰規準の一つとして採用した。

マグダラのマリア Mary Magdalene

 「マグダラ」は、ティベリアスの北2マイル、カファルナウムの南3マイルに位置するマリアの出身地「マグダラ」を表すと思われる。他のマリアと区別するために、そのように呼ばれたことは間違いない。


 「マグダラのマリア」は、十字架、葬り、空の墓の場面で他の婦人たちと共に登場する箇所(マルコ15:40; 15:47; 16:1; マタイ27:56; 27:61; 28:1; ルカ)の他、イエスに従った女性たちに関する記述に含まれるルカ8:2において、「七つの悪霊を追い出されたマグダラの女と呼ばれるマリア」と言及されている。加えて、マルコ16:9でも、「イエスは復活して、週の初めの日の朝早く、七つの悪霊を追い出されたマグダラのマリアに、最初に姿を現した」と記されている。また、ヨハネ福音書では、マグダラのマリア個人に対するイエスの復活顕現の記事が記載されている(ヨハネ20:11-18)。


 このマグダラのマリアは後に、ルカ7:36-50における「髪の毛でイエスの足を拭った罪人の女性」の記事での無名の女性と同一視され、彼女のイメージは娼婦およびイエスの足を髪の毛で拭った女性と結びつくこととなった。


 さらに、ヨハネ12:1-3(「1過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。2イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。3そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」)におけるベタニアのマリアを、マグダラのマリアと同一人物であるとする見方もできあがっていった。


 伝説では、彼女は、南仏へ赴き、30年の修道生活を送り没したと言われている。5世紀初頭(カトリック)もしくは6世紀頃(東方正教会)に活動した「エジプトのマリア」と呼ばれる聖人がおり、彼女のプロフィール(12歳で姦淫の生活におぼれたものの、17年後にエルサレムで啓示を受け、以後、荒れ野で禁欲生活を送った)がマグダラのマリアと重ね合わせられ、無自覚的に彼女のイメージが作り上げられていったのだろう。マグダラのマリアに荒れ野の修道女というイメージの源泉は、恐らくこのエジプトのマリアにあると思われる。


 以上のように、新約聖書から見たマグダラのマリアは、イエスの足を髪の毛で拭ったわけでもないし、「七つの悪霊」に取り憑かれていた(マルコ16:9)とは書かれていても、必ずしも娼婦であったとは明記されておらず、長い髪の毛を持っていたとも限らない。にもかかわらず、後代の美術その他では、かつて娼婦であり、豊満な肉体と長い髪の毛を持つ美しき女性が自らの髪の毛でイエスの足を洗い、以後、禁欲生活を送ったことを前提としたイメージでもって描かれるようになっていった。ただ、当然ながら、イエスの十字架、葬り、墓が空になっている場面にて傍らに立つ彼女の姿がモティーフとされた作品や、ヨハネ20:11以下のマグダラのマリア個人への復活顕現の場面が描かれた絵画も多く存在する。

バルク書

『バルク書』 Book of Baruch


 バルクの黙示録中の書。第一神殿が破壊された後、捕囚とされたバビロニアの地からパレスティナに送られた書簡の形式を持つ。

 ユダヤ教とプロテスタント諸派では外典され、カトリックと正教会では正典として旧約聖書に含められている書。
タイトルはエレミヤの書記(『エレミヤ書』45:1)であったバルクを名乗る著者の名前に由来している。

 『知恵の書』や『シラ書』とも共通する知恵の賛美が見られる。律法が知恵とされている(4:1)。

 構成
序言(1:1-1:9)
エルサレムへの手紙(1:10-3:8)
知恵の賛美(3:9-4:4)
エルサレムへの励まし(4:5-5:9)

2024年11月24日日曜日

十字軍 11世紀-15世紀中葉

【要約】

聖墳墓を含む聖地エルサレムをイスラム勢力から奪還・防衛することを目的として、欧州のキリスト教徒が行った軍事的な東方遠征。クレルモン会議(1095年)での教皇ウルバヌス2世の宣言により第1回十字軍が組織された。


本文

狭義:11世紀から13世紀にかけて行われた、聖墳墓を含む聖地エルサレムを拡大するイスラム勢力から奪還・防衛することを目的として、ヨーロッパのキリスト教徒が行った軍事的な東方遠征を指す。クレルモン会議(1095 CE)において、教皇ウルバヌス2世の宣言によって、第1回十字軍が組織された。1270年におけるチュニスでの敗退が最後の遠征。

 広義では、11世紀から15世紀中葉にかけて、イベリア半島、イタリア等の地域をイスラム支配から取り戻すために行われた戦いや、一般民衆による自発的な軍事行動(非公式遠征)等を含む。


第1次(1095−1099 CE)

トルコ人の侵攻に苦慮するビザンティン皇帝アレクシオス1世コムネノスの要請を受けたことを契機として、教皇ウルバヌス2世により十字軍派遣の宣言。フランスの諸侯ら40万の軍による遠征。1099年、聖墳墓を奪還、エルサレム王国を建設。


第2次(1147-1149 CE)

ドイツのコンラート3世、フランスのルイ7世が参加。敗退。



第3次(1189−92 CE)


第4次(1202-1204 CE)

聖地奪還の目的から外れ、利益追求のための遠征へと転じていく。ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルを制圧。ラテン帝国を樹立。


第5次 (1218−1221 CE)

第6次 (1227-1245 CE)

第7次 (1248-1268 CE)

第8次 (1268-1291 CE)

 →イスラム勢力の勝利


 2.十字軍発生の要因

 1.1.社会的要因

 11世紀中葉から始まる気候変動により、農業の生産性が増し、急激な人口増がもたらされ、経済活動、消費活動も上昇し、生活の豊かさの追求も為され始める。経済的発展は、貧富の拡大と新たな社会的階層を生み出し、気運高まる内的な力は外部への発展先を求めた。


 2.2.精神的要因

 この時代はまた、人々の宗教的精神性が変化、増大し、大聖堂建築、修道院制の発展、聖遺物崇拝、巡礼意欲の高まり等として現れるにいたった。異教徒によって支配された地を奪還する戦いに身を投じることこそ敬虔の証であるといった気風も生じた。こうして、十字軍の初期、中期は宗教性と相即不離の関係にあり、聖職者を騎士団が構成され、時にこれに民間人が同行するという形式が、十字軍遠征隊の実態であった。


#キリスト教史

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第5回「マタイのクリスマス」

 「四福音書のクリスマス事情~特にマタイに注目して」


 はじめに

 この講座も第五回となり、この回を含めて二回を残すのみとなりました。さて、現在まだ十一月と早めではありますが、今回はクリスマスと参りましょう。表題の通り、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四つの福音書におけるクリスマスってどうなの?という主題でお話しします。マタイのクリスマス記事の詳細については、「テキスト研究」が別にあるはずですので、改めてそちらでどうぞ。

 まず、主イエスの誕生について物語るクリスマス物語については、毎年恒例ということで皆さんもお馴染みでしょう。このクリスマス物語の源泉になりますが、実はマタイ福音書とルカ福音書だけからしか採用されていません。マルコとヨハネには、誕生物語はないのです。

 ただし、民間伝承レベルのクリスマス物語では、マタイとルカの他にも、聖書正典には含まれない外典『ヤコブ原福音書』や、ジェノバ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネが著した『聖人伝説』(通称『黄金伝説』)もソースとされています。例えばヨセフが高齢という設定や、幼子イエスを礼拝した占星術の学者の人数が三人で(マタイ二・七などでは単に「学者たち」と複数形)、それぞれ名前まで付けられているという設定などがそうです。こうした話題も面白いのですが、今回の講座にとって重要なポイントは、誕生物語的な記事はマタイとルカのみにしか含まれておらず、マルコ、ヨハネには含まれていないという点です。


 「初めにことばがあった」から始まるヨハネ福音書

 マルコとヨハネには誕生物語的な記事がないことは、初耳の方にとっては意外に感じられるでしょう。「本当にヨハネ福音書にはないの?」と思われる方は、ヨハネ福音書の冒頭を開いてみてください。「初めに言(ことば)があった」(ヨハネ一・一)という文言から開始され、詩的でミステリアスな言い回しが続いています。これは一般に「キリスト讃歌」と呼ばれ、後述のようにキリストの受肉の要素も含まれることから、クリスマスの聖書箇所として読まれることは多々あります。しかし、赤子のイエスには一切触れられていません。

 ヨハネ福音書にとってのクリスマスは、「言(ことば=キリスト)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ一・一四)といういわゆる「受肉」の出来事に集約されています。すなわち、キリストである「言」は永遠の「初め」から「神と共に」存在される「神」なる方であるにもかかわらず、「人となって」私たちのもとに来られたという神学を提示しています。そのために、具体的な誕生物語を描くよりも、こちらの方が優先されたということですね。あえて言えば、受肉こそ「ヨハネのクリスマス」です。


 クリスマスを書かなかったマルコ福音書

 「いやいや、さすがにマルコにはなかったっけ?」と思われている方、マルコ福音書を紐解いてみてください。マルコは「神の子イエス・キリストの福音の初め」という宣言から始まり、「荒れ野で叫ぶ声がする」との旧約聖書の預言の言葉と共に、洗礼者ヨハネの登場をもって開始されています。そして彼が逮捕されたタイミングで、主イエスが宣教活動を始められるという物語の運びとなっているので、やはりマルコにもキリスト誕生物語は全く含まれていないということになります。

 その理由について私の推測によれば、マルコはキリストが生まれてからの伝記物語を書こうとしているのではなく、群衆からメシアであると期待されたナザレのイエスの末路が十字架での悲惨な死であり、しかしそこにこそ真の救い主の姿がある!と主張したかったのでしょう。十字架死へと急転直下していく劇的展開を重んじているわけですから、そう考えると、誕生物語から長々と物語るよりも、バッ!とイエスが現れて、ドドっ!と話が動いて、後半から一気に暗雲立ち込め、ドーン!と十字架の闇が覆うという筋書きの方が躍動感があります。この点から、誕生物語はマルコにとってむしろ不要であった、ゆえに書かれなかったのだ、と私は仮説を立てています。一言でいえば、「マルコのクリスマス」とは、あえてそのような誕生物語を省いた末の「いきなり十字架への道」、とでもなるでしょうか。


 マタイとルカでのクリスマス記事の配分

 以上、クリスマス物語のソース(源)はマタイとルカ、ということでご理解いただけたでしょう。では、それぞれに含まれるクリスマス関連記事の配分をザックリと見ておきましょう。

 マタイ:父ヨセフへの告げ知らせ。東方の占星術の学者たちの来訪。ヘロデ大王の恐れ。幼子イエスを礼拝する学者たち。ヘロデによる嬰児虐殺。エジプトへの避難。

 ルカ:不妊のザカリアとエリサベト夫妻。マリアへの受胎告知。マリアのエリサベト訪問。ベツレヘムへの旅と出産。羊飼いたちの来訪。

 毎年、教会学校でクリスマスに向き合っている先生方なら、「ふむふむ、なるほどなるほど」といった感じですよね。いわゆるクリスマス物語の各パートは、こんな風にマタイとルカの双方に散らばっているのです。そして、それらが時系列順にうまい具合に繋ぎ合わせられたものが、あのクリスマス物語であるということです。


 マタイ福音書の誕生物語

 ということで、我らがマタイ福音書のクリスマス記事の構成を、もう少しだけ詳しく見ていくことにしましょう。マタイの誕生物語は、アブラハムからイエスへと至る系図に始まり(マタイ一・一−一七)、次いで父ヨセフへの告知、イエス誕生と命名について述べられます(マタイ一・一八−二五)。その後、場面は変わって東方の占星術の学者たちの来訪物語となります(マタイ二・一−一二)。そして、ヘロデの恐れと企みを経て、ヘロデから逃れるためにヨセフ一家がエジプトへと避難し、最終的にナザレに移住したことをもって結ばれています(マタイ二・一三−二三) 。この一連の物語に共通して現れる要素が、「夢」(一・二〇、二・一二、一三、一九)と「主の天使」(一・二〇、二四、二・一三、一九)、そして成就引用です。「夢」「主の天使」「エジプト」という諸要素から見て、マタイは旧約聖書のヨセフ物語やモーセの出エジプトの出来事との対応関係を意識しています。旧約聖書との繋がりは、とりわけ成就引用によって示されています。成就引用とは、ある出来事が神の摂理の中で起こるべくして起こった必然的なことであることを、旧約聖書の引用をもって示すもので、マタイが好んで使う表現です。以前の講座における「マタイ福音書の神学」の回でも述べたもので、例えば、マタイ一・二二の「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」という言い回しが挙げられます。マタイの誕生物語全体の中では、他に二・一五、一七、二三に見られます。「やっぱりマタイ、旧約との繋がり重視だね!」、まさにそういう感じです。


 マタイとルカにおけるクリスマス記事の相違点

 マタイとルカの誕生物語には、互いに重複するエピソードはありません。同じエピソードが重なってもよさそうなのに、ちょっと意外な感じです。ということは、マタイとルカは、それぞれに伝えられていたエピソードを使ってそれぞれのクリスマス物語を組んだところ、たまたまそれぞれ逸話が被ることなく組み上げるに至った、と推理されます。

 ただ、ここで問題が一つあります。マタイとルカから事実を再構成してみると、矛盾する点があるのです。ルカ二・四には「ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」と記されていることから、マリアとヨセフはイエスの誕生以前から元々ナザレに住んでいて、住民登録のためにベツレヘムに赴いて同地でイエスを出産したという設定となっています。一方、マタイの方では、イエスの家族は元々ベツレヘムに住んでいたけれども、「アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配」していたために、イエスの誕生以後にガリラヤに移住したという書き方になっています(マタイ二・二二−二三「夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方にひきこもり、ナザレという町に行って住んだ」)。

 以上をザックリ図式化してみましょう。

 マタイ ベツレヘム →エジプト避難 →ガリラヤ

 ルカ  ガリラヤ  →ベツレヘム滞在 →ガリラヤ

 なんということでしょう!二人の匠による記述が、違っているではありませんか!私たちが触れているクリスマス物語では、この辺を変に深掘りすることなく、ベツレヘムに旅してそこの馬小屋で主はお生まれになり、その後にガリラヤで住むようになったよね、という形でフンワリ済ませています。それで基本、問題ありません。ただ、この事実を知ったからには、やはりこのミステリーを謎解きしておきたいですよね。

 そこでまず、両者、イエスはベツレヘムで生まれ、ナザレで育ったという点では一致しています。ユダヤでは伝統的に、メシアがダビデの末裔としてベツレヘムより現れるというメシア待望が根強くありました。ミカ書五・一を引用してのマタイの記述が示す通りです。「王は…メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。…「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ…お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となる』」(マタイニ・四-六)。余談ですが、こういう旧約引用もマタイっぽいです。

 他方、主イエスがガリラヤのナザレでお生まれになったかどうかは別として、「ナザレのイエス」という呼称の通り、長らくガリラヤで過ごされたことは既成の事実でした。ところが、以上の二点を成立させる筋書きが、統一されていなかったのだと思います。それで、マタイとルカはそれぞれ、この二点を繋げる作業に迫られていた中で、マタイとルカはお互い面識はありませんから、別々の筋書きが出来上がるに至ったのだ、と私は診ております。歴史的事実はどうであったかについては、今となっては時の彼方のことです。


 結びとして

 マタイとルカとの矛盾については、変に深入りせず、一点突破ならぬ、ベツレヘム生まれのナザレ育ちという「二点突破」で乗り切りましょう。ユスティノスやオリゲネスといった有名な古代の神学者たちも、細かいところは置いておきつつ、ポイント押さえてグイッといくやり方のようですから、これで間違いありません。

 また、マタイの記事からクリスマス説教をする際は、いずれの箇所であれ旧約聖書を意識すると、識者が聞いても「うむ、よく準備されたマタイらしい説教」となります。 ではでは、ちょっと早めのメリー・クリスマス!


2024年11月21日木曜日

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第4回「マタイの教会論」

「マタイが思い描く教会ーマタイ福音書の教会論」


 序 「教会論」ってなに?

 この講座、はや四回目となりました。今回は、「マタイが思い描く教会」です。マタイが持っている「教会とはこういうもの」というイメージ、また、あるべき教会の姿、などなどについてとなります。これらは牧師が使うような正式な表現でいくと、「教会論」となります。

 違う教派や教団の教会にいたことがある方なら、教会や礼拝や信仰、聖書について抱いている感覚が、それぞれの教会や教団でずいぶんと違うことを経験されたことでしょう。そうです、教会のイメージというのは、教派や教団が違えば当然のこと、同じ教団の教会でさえも、結構違っていたりするものなのです。

 これと同様に、四つの福音書、すなわち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネでも、教会観の多様性が見られます。ただ、福音書は基本、キリストの地上での生涯を時間設定としていますから、教会の成立以前の時代が舞台です。よって、その舞台ではまだ存在しない教会の話は出てこないのが普通です。実際、「教会」と訳されるエクレシアという語は、福音書にはほぼ出てきません。唯一散見されるのが、今回の特集の主題である我らがマタイ福音書なのです。

 しかしそれでも、福音書が書かれたのは教会の時代ですから、言葉の端々(はしばし)から各福音書がどんな教会をイメージしているのかが、じんわりと滲み出ています。そこで、その滲み出たものを具体的に見ていきましょう。まず、おのおの共通する要素から参りますと、教会とは、神によって選ばれて招かれた人たちの集まりとなります。「教会」と訳されるギリシャ語のエクレシアという語も元々、誰かによって呼ばれて集められた人たちという意味を持っています。その語が教会専門用語として使われるようになると、神によって招き集められた人々の集まり、という意味に特化していったというわけです。さらにそれは、キリストによって招かれ、キリストに導かれ、キリストを中心とする“群れ”というニュアンスが織り込まれていきました。


 一 四福音書それぞれの教会のイメージ

 せっかくのこういう機会ですので、私の主観もアリとはなりますが、四福音書それぞれが抱いている教会イメージ、すなわち教会論について、ざっくりと述べておきましょう。まず、マルコは「十字架を背負って主に従う教会」となります。マルコは十字架を前面に出す福音書なので、教会の前身であり、後の教会を暗示する弟子たちは、自分の十字架を背負ってキリストに従う群れとなるわけです(マルコ八・三四)。

 次にルカは、「ルカ福音書」を第一巻として書いた後、「使徒言行録」を第二巻として書いていて、二巻仕立てにしているということが最大の特徴でしょう。ですので、「<地上のイエスの時代>を経て、その後の<教会の時代>を生きていく教会」となるでしょうか。

 ヨハネ福音書については、世の罪を取り除く神の小羊(一・二九)、永遠の命(三・一五)、命の水(四・一四)、聖霊(一四・二六)がキーワードですので、「永遠の命と復活、ほふられた小羊なる御子イエスと聖霊を信じる教会」とでもしておきます。

 最後に今回のマタイとなりますが、この講座をこれまで読んでいただいた方にはもうお馴染みでしょう。マタイと言えば、旧約と律法の完成者イエス、神との契約を継承する神の民としての弟子たち、そして、キリストが共にありつつ、主イエスの大宣教命令(二八・一六ー二〇)に生きる弟子たちが特徴的であることから、「神の民の契約を継ぎ、キリスト共に宣教する教会」とまとめてみました。今回の講座の結論が、早くも出てしまいました。


 二 「マタイの神学」こそ「マタイの教会論」

 前回の講座である第三回では、「共観福音書問題」について述べました。これはもはや信徒のレベルを越えていて、神学者レベル、牧師レベルの専門的内容です。ここから、今回の講座で重要な部分のみを抽出すると、次の一点に集約されます。すなわち、<マタイ福音書は基本、マルコ福音書を参考にして執筆された>という点です。このことがなぜ重要なのかというと、第一に、マルコを参考にしているということは、マタイがマルコの何をそのまま踏襲し、何を書き足し、何を書かずに削除したかが、読み比べればわかるという点に尽きます。そして第二に、とりわけ相違点を挙げ連ねることにより、マタイ福音書の考えの独自性が自ずとあぶり出されてくるという仕組みなのです。素晴らしい!

 こういう発想がイメージしにくいという方は、福音書をコンビニに例えてみてください。共観福音書はセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートに例えられ、どれも似ていますよね。でも、それぞれ個性がある。業界では二位のファミマがファミチキ(マルコ福音書)という新機軸の看板商品を出したら、業界一位のセブイレがこれを参考に、ナナチキ(マタイ福音書)を繰り出してきたようなものです。ところが、後発のナナチキが一番美味しいと言われるようになり、第一チキン(第一福音書=マタイ福音書)の座を獲得したというのが、共観福音書の歴史です。

 それはともかく、こうして組み立てられたマタイ福音書の内容的特徴、イコール、「マタイの神学」が、私の組み立てによれば、以下の通りとなります。

 一.旧約聖書との繋がりを強調。二.パウロとも微妙に異なる律法理解と律法重視、【律法の創始者モーセ、律法の完成者イエス】。三.イエスの弟子としての教会。四.イスラエルの継承者としての教会。五.古いイスラエルから迫害を受ける、新しいイスラエルの教会、六.教会の世界宣教の展望。(講座の第二回、マタイ福音書の神学より)

 ただ、これらの特徴は、マルコやルカ、ヨハネには全く見られないという意味ではありません。福音書間で共通して見られる事柄でもあるのですが、マタイは誰よりもこれを前面に打ち出しているということです。マタイがイメージする教会は、当然のこと、以上の神学的特徴を実践する共同体であるはずですから、これがマタイの教会論となるわけで、結果、本章の表題通り、マタイの神学はマタイの教会論でもある、という図式が成り立ちます。


 三 律法の完成者イエスの教えを実践する教会

 これで話の前提が整いました。それでこの章からは、マタイの神学を念頭に置きつつ、具体的な聖書箇所を参照しながら深掘りしていきましょう。

 マルコでは律法の束縛からの自由が強調されていて、その点ではパウロの路線と共通するのですが、マタイはこれにやや修正をかけています。具体的には、律法は廃止されたわけではないことが強調されつつ、律法の一点一画までおろそかにされるべきではないことが、マタイによって新たに書き加えられています(五・一七「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」)。端的に言えば、マルコ福音書やパウロの言葉を行き過ぎて理解して、「律法なんか、もう要らないね!」という主張は、マタイの逆鱗(げきりん)に触れるものだということです。しかも、単純に律法を遵守せよということではなく、(イエス以前は未完成だった)律法を「完成」しつつ、律法を超越するイエスの教え・言葉を実践することが求められています。そうして提示されているイエスの言葉こそ、かの有名な「山上の説教」(五ー七章)というわけですね。


 四 ペトロを筆頭とする弟子たちに由来する教会

 マタイ福音書にしかないオリジナル記事といえば、私なら毒麦の例えや天の国の例えを思い浮かべますが、なにより、ペトロの信仰告白の箇所が挙げられます。ペトロの信仰告白の記事自体は、マルコが掲載しているものですが、マタイはそれにプラスして、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(一〇・一八)という言葉を書いています。

 実はこの箇所は、カトリックとプロテスタント側とで解釈や重んじ方が違ってきて、なおかつそれぞれの教会の正統性の主張が絡んでくるというセンシティブな箇所でもあります。それだけに扱いが難しいのですが、マタイがペトロを重視していることは確かです。他方、ヨハネ福音書はペトロ優位を弱めています。まあ、イエスによって立てられた使徒たちが土台となって、今日の教会へと続いているのだという教会の自己理解は妥当でしょう。


 五 人間関係のトラブルにキッチリ対処する教会

 「仲間を赦さない家来の例え」を導入している「七の七十倍までも赦しなさい」(一八・二二)という言葉もマタイオリジナルで、他方、ルカでは「一日に七回でも赦してやりなさい」とありますから、マタイはこの辺り、徹底して強調していることは明らかです。なにせ七十倍ですから。

 ところで、七の七十倍赦せという言葉、「そんなの無理!」と恐怖心を抱いている方もきっと多いと思いますが、これにはマタイの妥協を許さない性格や、マタイが好む徹底的かつ厳格な言い回しを考慮してもいいように考えています。

 これと共に添えられているマタイオリジナルの箇所が、「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」の言葉を含むくだりです(一八・一五ー二〇)。ここから察するに、マタイの教会では人間関係のトラブルがあった際、責任を持つ人が仲介に立って事情を聞いた上で、指導に従わないなら除名処分という手順が定められていたようです。これもまた、教会論と密に関わってきます。


 六 洗礼を授け、キリストの言葉を教える教会

 やはり最後は、アレです。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(二八・一九ー二〇)。マタイ福音書を締めくくる、言わずと知れた「大宣教命令」です。「あなたがたと共に」については、クリスマス記事の一・二三「インマヌエル」と呼応関係にあり、マタイの始めと終わりがこれで囲まれていることも、以前に触れたことでした。

 洗礼を授けることも含めたこのような命令は、後代の付加部分と見なされているマルコ一六・九以降を除けば、マタイのみに見られるものです。ただ、ルカは使徒言行録でその旨を物語り、ヨハネでは弟子たちが福音書中で既に実践していますが(四・二)。