2023年8月22日火曜日

ヨハン・エック

ヨハン・エック Johann Eck, 1486‐1543 CE


要約

ルターと宗教改革に対して、当初より先鋭的に対立したカトリック神学者。ルターとは「95箇条の提題」以来反発し、教会制度や教皇の権威について、激しく彼と対立した。ローマ教皇レオ10世によるルターへの破門教勅(1520年)の起草に参与。

 ルターと宗教改革に対して、当初より先鋭的に対立したカトリック神学者。


本文

 シュヴァーベンのエックに生まれ、チュービンゲン、ケルン、フライブルク等で神学と法学を学びつつ、人文主義の影響をも受ける。1510年より、インゴルシュタット大学教授。スコラ学の実力と弁論の巧みさで名声を得る。


 1519年のライプチヒにおける公開討論会において、ルターの代理人であったウィッテンベルク大学教授カールシュタットとの間で、意志および自由の問題について議論を交わす。ルターとは、1517年におけるルターの「95箇条の提題」に当初より反発し、教会制度、ローマ教皇の権威に関して激しく彼と対立した。エックは彼を、ヤン・フスの主張と似ていると痛烈に批判。その後、ローマ教皇レオ10世によるルターへの破門教勅(1520年)の起草に参与。


 1526年には、レーゲンスブルクでのカトリック側の連盟結成に尽力。さらには、1530年の神聖ローマ帝国によるアウクスブルク帝国議会における、ルター派に対する404箇条の条項作成、およびアウクスブルク信仰告白に対する論駁書作成において、中心的役割を果たす。


 エックの晩年に相当する1540年におけるハーゲナウでの宗教会談、1541年におけるウォルムス、レーゲンスブルクでの宗教会談においては、寛容的な姿勢で相手側を牽制しつつも、プロテスタント側に対する徹底的なまでの論陣を終生崩すことはなかった。


 しかし、カトリック側の腐敗と堕落への批判的視点をも持ち、内部の自浄と改革の必要性をも主張していた。


 主著

 『ルター反論典拠集』

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