【要約】
カルタゴ司教にカエキリアヌスを叙任したフェリクスが背教行為を犯していたことが判明し、叙任の有効性を巡って起こった論争。70人の反対者が対抗司教マヨリヌス、次いでドナトゥスを擁立。314年の教会会議で有効性承認。
[Summary]
The Donatist Controversy 312-314
Controversy over the validity of the ordination of Felix Caechilianus as bishop of Carthage after he was found to have committed apostasy. 70 opponents supported a rival bishop, Mayolinus, followed by Donatus. The validity approved by the Church Council in 314 CE.
本文
カルタゴの司教としてカエキリアヌスが選ばれた際、彼を叙任したフェリクスは、ディオクレティアヌス帝の迫害時に背信行為を犯していたとして、ヌミディアの司教や司祭ら70人がフェリクスによる"叙任の無効性"を唱え、対抗司教としてマヨリヌスを立てた(311-312年)。312年、マヨリヌスの後継としてドナトゥスが選ばれる。彼はドナトゥス派の名称の由来となった。同派は、非定住民のキルクムケリオネスと呼ばれる修道士や農民を抱き込んで、暴動による混乱は波及していった。同派の特徴である殉教讃美、熱狂主義的終末思想は、モンタヌス派と共通するところが多い。
コンスタンティヌス1世は暴動の鎮圧を試み、314年に教会会議を招集。この会議において、叙任者の人格如何に関わらず、聖職叙任は有効であるとの決議が為され、カエキリアヌスの叙任の有効性が確認された。
その後、ドナトゥス派に弾圧が加えられたがさしたる効果はなく、7世紀に至るまで北アフリカに存在し続けた。なお、アウグスティヌスが同派と論争し、彼はサクラメントの有効性を教会法的に論証し、千年王国説を退け、カトリック教会の公同性と普遍性を主張した。
関連事項
ドナトゥス派
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