ユグノー Huguenot
要約
フランスにおけるカルヴァン派の総称。「誓約仲間」を意味するドイツ語のジュネーブ訛りが名称の由来か。
迫害を受けながらも勢力を伸ばしつつ組織化が進み、1598年の「ナントの勅令」とユグノー戦争の終結により、束の間の信教の自由を得た。
本文
フランスにおけるカルヴァン派の総称。
名称は、ドイツ語のEidgenosse(「誓約仲間」の意)のジュネーブ訛りであるeyguenotに由来するという説が一般的である。カトリック側のギーズ党がカルヴァン派をそのように呼んだことで、同名称が定着したと考えられる。
宗教改革以来、フランスでもプロテスタント隆盛し、政府からの迫害を受けた。しかし、同派はパリにて最初の全国改革派教会会議を開催し、基本信条として「フランス信条」を採択した。
1562年、バシーの虐殺を契機にユグノー戦争が勃発。
1572年、サン=バルテルミの虐殺。
1598年、「ナントの勅令」と共にユグノー戦争終結。ユグノーの信仰の自由と権利は一応は保障された。
1685年、絶対王政を志向するルイ14世はナントの勅令を破棄するフォンテンブロー勅令を出した。ユグノーの弾圧が再び始まり、抵抗によってカミザール戦争が生じ、このような状態はフランス革命に至るまで持ち越された。
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