2024年6月3日月曜日

ラクタンティウス

ラクタンティウス Lucius Caelius (Caecilius) Firmianus Lactantius, ca. 240-ca. 320


【要約】

「キリスト教のキケロ」とも呼ばれる神学者、護教家。290年頃にローマ皇帝ディオクレティアヌスによりラテン修辞学教師として招聘。300年頃、改宗。後、皇帝コンスタンティヌス1世の息子の教師。著作:『神聖教理』『神の怒りについて』


本文

 3世紀後半から4世紀に掛けて活動した、「キリスト教のキケロ」とも呼ばれる神学者、キリスト教護教家。北アフリカのヌミディア地方のシッカ出身。


 異教徒の家に生まれ、修辞学者となったが、290年頃にローマ皇帝ディオクレティアヌスに評価され、ラテン修辞学教師としてニコメディアに招聘された。


 300年頃にキリスト教に改宗。


 303年のキリスト教大迫害の際、追放処分を受けた。


 313年のミラノ勅令(キリスト教寛容令)以降、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の息子クリスプスの教師に任命された。


 主要著作

『神聖教理』 Divinae institutiones (7巻)

『神の怒りについて』 De ira dei

『迫害者の死について』 De mortibus persecutorum

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