2023年7月24日月曜日

「私が着任した当時(2012年)の状況についてーー特に聖日礼拝の様子」

 「私が着任した当時(2012年)の状況についてーー特に聖日礼拝の様子」


 表題の通り、私は2012年の4月、先代で「光の教会」と呼ばれる礼拝堂を建てた主任牧師の後任として着任しました。以前から牧師の間で噂となっていた通り、当時は50人くらいの教会員関係者が出席する中、20名くらいの観光客、その内7割か8割かは外国人の方々が訪問するという状況で、一言で言えば後述の通り、礼拝の雰囲気はほぼ崩壊していました。


 勿論、敬虔なクリスチャンが礼拝を捧げるために集っているというのであれば問題は軽くなるのですが、観光客の大多数はキリスト教ではなく安藤忠雄さんの代表的建築が目当ての見学客で、礼拝に関心がある方ならまだしも、仕方なく出席しているような方々も多く、そのためか私語も為さる人もあれば、ペットボトルのラッパ飲みをされる人もありでした。中でも最悪なのは、禁止されている礼拝中の撮影を行う方が後を絶たないことでした。


 撮影も含めてこうした礼拝のマナー問題については、着任早々に礼拝ガイドラインを急遽作成し、見学客にマナーをお守りくださいとお願いする体制を整備することで対応したものの、言っても聞かない厚顔無恥な方というのは、どこの世界にもいらっしゃるものです。


 酷い方になると、前もって注意をしていても礼拝前に撮影に興じ、改めて注意をすれば一旦は収まりはしますが、不満げな態度をとられます。そうして始まった礼拝中、仲間内の3-4人でずっとお喋りをなさり、さすがに私も講壇上から一言注意すべきか思案ながら説教を語っていると、突然ガタッと一斉に席を立ち、悠然とカメラで周囲をバシャバシャと撮影しながら去っていくというパターンです。


 正直、私も、そして他の礼拝出席者も、とても嫌な気持ちになります。例えばコンサート会場で近くの席にマナーの頗る悪い方が座ったために、音楽鑑賞で心和らぐどころか、腹が立って家路に就くことを余儀なくされた時のような、そんな不快な感情です。こうしたことが、毎週毎週繰り返される日常茶飯事として起こり、そんな不快な経験が毎週毎週、永久に続くかのように繰り返されるのです。


 日本人の方で割と多いのは、「宗教って気持ち悪いっ」といったような侮蔑的な態度を取られるパターンです。これについては、宗教というものに対する偏見と言いましょうか、反社会的な新興宗教も、慎ましく営みを続けている伝統的な宗教もごっちゃにされてしまって、総じて宗教に対する評価が著しく低い日本の土壌という要素が大きく影響していると推測されます。オウム真理教や昨今話題となっている旧・統一協会など諸々の出来事がありますから、単に警戒心が強いというのであればやむを得ないことなのですけれども、汚いものを見下すような態度で、応接対応の奉仕を為さる教会員ボランティアの方にも接していたり、礼拝前や礼拝中も不遜な態度で身構えておられると、礼拝の雰囲気は異質なものに変わってしまいます。


 また、こうした礼拝中のマナー問題だけではなく、受け容れ可能人数というキャパシティの問題もあり、それは「光の教会」という建物自体が100名ほどしか収容できないという物理的な要因が一つあります。もう一つの要因は、新来会者を迎えて応接する担当奉仕者の限界という側面です。新来会者を礼拝直後にご紹介するためにお名前や来られた国や地方などを伺いつつ、席までご案内するボランティアが、ヘトヘトに疲れ果ててしまうのです。しかも、教会には体力のある若い方はほとんどおられず、結果として70歳台、80歳台の高齢の教会員が、あたかもお昼時のファミレスの店員さんのように動き回るわけですから、疲れを通り越してシンドイ重荷にさえなってしまうのです。


 最高記録では50名から60名ほどの観光客が出席されたこともあり、その時のカオス状態は未だに語りぐさとなっています。というわけで、新任牧師であった当時の私に課せられたミッションは、こういった諸問題をどう解決するかでした。(次回に続く)

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