2023年6月30日金曜日

ヘロデ・アンティパス Herod Antipas, ca. 21 BCE - 39 CE

 ヘロデ・アンティパス Herod Antipas, ca. 21 BCE - 39 CE


 ガリラヤ、ペレアの領主(在位:前4-後39年)。ヘロデ大王の子。ヘロデ大王から領土を継承したが、他の兄弟による分割統治であり、自らを王と名乗ることは許されず、いわゆる「四分封領主」に留まった。


 政策としては、父ヘロデ大王と同様に一貫して親ローマ政策を採りつつ、同時にエルサレムでの祭儀に出席するなどしてユダヤ人にも気に入られるよう振る舞った。ユダヤ人歴史家のヨセフスは、アンティパスの野心的ではない穏健な政治をある程度評価している(『ユダヤ古代誌』18.7)。


 洗礼者ヨハネを処刑したことでよく知られ、先妻と離婚して兄の妻へロディアを娶ったことを洗礼者ヨハネに批判されたため、ヘロデ・アンティパスは彼をマケルスの砦に幽閉し、斬首した(参照、マルコ6:14-29、ヨセフス『ユダヤ古代誌』18.5)。また、イエスに「狐」とも呼ばれている(ルカ13:31-33「31ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。』32イエスは言われた。『行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。33だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。」)。


 さらにルカ23:7-12には、ユダヤ総督ポンテオ・ピラトから送られてきたイエスと相対し、ピラトに送り返したことが報告されている(参考、アルブレヒト・デューラー(ドイツ・ルネサンス期)「ヘロデ・アンディパスとイエス」(版画)、1509年。)。


 結果的には、2番目の妻であるヘロディアを巡る一連の出来事で身を滅ぼすに至った。ヘロディアを迎え入れたために先妻ファサエリスと離婚したことが仇となり、先妻の父ナバテア王アレタス4世からの攻撃を受けて敗北した。だが、従属国が独断で戦争を仕掛けたこでアレタス4世は皇帝ティベリウスの怒りを買って身柄を拘束された。


 その後、兄弟のヘロデ・アグリッパがローマ皇帝ガイウス・カエサル(カリグラ帝)から「王」の称号を与えられたことを妬んだへロディアに唆され、アンティパスもまたカリグラにその称号を嘆願しに皇帝のもとへ出向いた。しかし、この行動を予測していたヘロデ・アグリッパによって違法な武器保有を皇帝に暴露され、カリグラ帝はアンティパスを追放処分とし、流刑地で死んだ(ヨセフス『ユダヤ戦記』2.9.6)、または処刑された(ディオ『ローマ史』59.8.2)と伝えられている。

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