日本基督教会 信仰の告白〔1890年(明治二十三年)制定〕の注解
全文
今回のテキスト
古の預言者使徒および聖人は、聖霊に啓迪せられたり。新旧両約の聖書のうちに語り給ふ(たもう)聖霊は宗教上のことにつき誤謬(あやまり)なき最上の審判者なり。
注解
- 「古の預言者」:旧約の預言者たち。預言者を初めとした神の言葉を語った人々は、神の霊によって語り、イスラエルの民に対して神の意志を伝えた。だが、民や為政者は、しばしば預言者たちを無視するか迫害し、時には殺害した。イスラエル史の中心軸の一つは、預言者迫害、あるいは預言者殺しである。彼らの生涯や特に語った預言の言葉は、旧約聖書の預言書に収録された。
- 「使徒」:「十二人」と呼ばれる十二人の使徒たち、およびパウロなどそれ以外の使徒たちを指す。彼らはキリストの出来事の「証人」であった。そして、聖霊の導きによって福音を宣べ伝え、福音書や書簡など、新約聖書文書を執筆した。
- 「聖人」:または「聖徒」。この語自体は、使徒時代の教会、初代教会時代から初期教会時代の”教会”、または教会の”信徒”たちを指す用語。これらは、聖霊によって導かれた共同体とされている。神の啓示を受け取り、これを継承し、聖書として文書に書き留めた共同体または個々人であり、新約聖書文書執筆の際は、聖霊によって導かれて書いたとされる。
- 「聖霊に啓迪せられたり」:上記の彼らは、聖霊の導きにより福音を宣べ伝え、教会を建て、教え、特にこの文脈では「聖書」を記したということ。人間の意志のみによってこれらが為されたのではなく、神の計画として、神の聖霊の主導性をもって成し遂げられていったということ。「啓迪」については、後述のコラムを参照。
- 「新旧両約の聖書のうちに語り給う聖霊」:「語り給う」では現在形が用いられている。すなわち、新旧約聖書は、過去において聖霊の導きによって語られただけではなく、今現在も、聖霊がこれをもって語り続けているという書である。つまり、<成立時に働いた聖霊、そして、読まれる現在にも働く聖霊>が意識されている。
- 「聖霊は宗教上のことにつき誤謬(あやまり)なき最上の審判者」:聖霊が主語ではあるが、実質的に、聖霊に「啓迪」されて書かれた「聖書」が主語。その聖書の無謬性に、「宗教上のことにつき」という限定が加えられている。ここには、聖書の無謬性は専ら教義(教会の信仰内容)に関する事柄に当てはまるということ、言い換えれば、それ以外の科学的・歴史的事象についてまで正しさを求めるべきではないということが含意されている。一言一句をすべて文字通りに神の言葉とする「逐語霊感説」と呼ばれる聖書解釈とは、距離を置いた聖書の位置づけをとる改革派的な伝統が反映されている。
- 逐語霊感説とは:自然科学的記述や歴史的記述なども含め、聖書の一言一句をすべて字義通りにそのまま真理として、あるいは普遍的命令として読もうとする聖書解釈。我々の立場では、例えば天地創造物語を文言通りにすべて書かれているままに信じているわけではないし、細かな律法規定や文化的相違に起因する事項など、すべてを遵守するわけではない。聖書(=正典)とは、キリスト教における教義(例えば、神、キリスト、聖霊、救済、復活など)の源泉である。
- 「最上の審判者なり」:1647年にスコットランド教会(改革派、カルヴァン派)で採択されたウェストミンスター信仰告白では、教義に関して地上で最も権威を持つものは、聖書であると位置づけられた。1章9節は、いわゆる「聖書を解釈するのは聖書自身である」という標語として知られた箇所であるが、一方では逐語霊感的な聖書の読み方を退け、同時に、カトリック教会のように教会的伝統や教皇、教父などが聖書と同等の権威を持つのではなく、聖書の上に聖書以外の権威はないという立場が簡潔に表明されている。こうした改革長老主義的伝統を、本信仰告白も踏襲していることが示されている。宗教改革者のルターが口火を切り、初期ルター派がまとめ、後のルター派がスローガン化したところの「聖書のみ(Sola Scriptura)と同様の立場。
まとめ
- 聖書は、旧約の預言者、使徒、教会の聖徒を通して書かれたが、彼らは聖霊の導きによって執筆した。<啓示の源>
- 聖書において、今も聖霊が私たちに語っている。<生ける神の言葉>
- 信仰内容、教義の源泉として、聖書以上に権威あるものはない。
コラム 「啓迪(けいてき)」という語について
同語は、明治から昭和初期の哲学思想文書、教育関連文書、文語的エッセイ、法令、特に宗教関連文書(儒学、朱子学、仏教、キリスト教など)で広く用いられた語で、「啓発する」「啓蒙する」「悟らせる」「導く」などの意味で使用された。宗教的分野では、「啓発」よりも宗教的色彩(啓示的)が強い。内村鑑三や新島襄といったキリスト教指導者も、聖霊によるillumination(聖霊の照明)という神学用語の訳語として、しばしば同語を用いた。
ところが、明治の後期に差しかかると、「啓発」や「啓蒙」「導き」などの言葉がより用いられるようになった。その理由の一つは、明治政府が文明開化政策に伴い教育を重視したため、科学的・教育的色彩の濃い上述の語が好まれ、<宗教的=非科学的>と見なされる啓蒙主義的な時代風潮に押され、古風で宗教的響きの強い同語の使用は後退していった。この傾向はキリスト教会、そして当時の日本基督教会においても例外ではなく、難解語を新しい用語に切り替え、全体で用語統一を進める動きが顕著であったようだ。
加えて、改革長老主義教会では、聖霊主導の面を強調した「聖霊の導き」(instruction / Guidance of the Holy Spirit)が神学上の重要な柱であったため、体験的な次元に近い「illumination of the Holy Spirit」(=聖霊の照明、内的照明)よりも、聖霊の主導性が強調された後者の方が好まれた。その訳語として、「聖霊による 教え/導き」として「教導」という語が使用されるようになった。おそらくは従来の伝統を重視し、1890年の成立段階においては「啓迪」を含む信仰告白文が採用されたものの(1890年(明治23年)・日本基督教会第17回年会議事録)、大正期に入ると、神学用語の「啓迪」を「教導」に置換する動きが加速する。その段階で書き換えられたバージョンが自然的に生成され、流布したものと推測される。公式にそのような改訂が行われたという記録は、資料には見当たらない。
まとめとして、時代的にも改革派神学的にも、啓迪から教導へと切り替えられる時期であったが、1890年に日本基督教会と改称されて成立時に採用された信仰告白文では、「啓迪」であった。その後、教導に変更したという公的な記録はない。そうして自然発生的に「教導」バージョンが使用されるに至り、今日の両者混合という事態を招来したと推測される。
1890年 日本基督教会・信仰の告白の連続講解説教、今回の結びの言葉として
「古の預言者も、使徒も、聖徒も、みな聖霊に導かれて神の言葉を語り、そして、聖書をしたためました。その聖書は、私たち教会の信仰の源です。源泉であります。そしてまた、私たちの信仰が誤ったものではないか・正しいかどうかをはかる、物差しのようなものでもあります。事実、教会の歴史においてはかねてより、聖書は信仰の基準とされてきました。この基準という語、ラテン語ではカノンとなりますし、そのカノンという語は、物差しとも訳されます。
私たちの信仰内容の源泉たる聖書において、聖書以上に権威あるものはありません。よって、誰かから解釈を強制されるものではなく、もちろん、自分勝手に解釈するものでもなく、聖書自身をもって聖書を読み、解釈すべきです。
また、その聖書は、単なる過去の信仰的文書に留まりません。聖霊は、今もなお、新旧約の聖書を通して、私たちに語り続けています。聖霊が語ってくださるものです。それゆえに、聖書は、「生ける神の言葉」として、私たちの信仰に、あるいは信仰に基づく人生の行動に、リアルタイムに神の意志を示してくれる言葉ともなります。
私たちは、聖書を通して語られる神の声に耳を傾け、そこに示されるキリストの恵みを喜びと感謝をもって受け取りつつ、今週もそれぞれの場で主に仕えてまいりましょう。
主の御言葉が、私たちを誤りなく導き、永遠の命へと至る道を確かに歩ませてくださいますように。
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