2025年6月6日金曜日

【キリスト教史解説】魔女狩り(魔女裁判)



ーーーレジュメーーー
キリスト教学B 3
2025年6月6日 G-201 5限(17:00-18:40)
第9回 魔女狩り(魔女裁判)
 魔女狩り(魔女裁判)とは:
 ・中世末期より近代においてヨーロッパ全域に広がった社会的シンドローム
 ・中世以前の魔術に関する民間伝承。魔術行為が背景にある。
 ・中世末期、魔術(呪術)行為を取り締まる過程で、魔術信仰を禁止する神学が形成。
 ・中世時代から宗教改革期の政情不安、近代へ移行する過程での社会不安。
 ・不安解消のスケープゴートを求める過程で興隆していく。

 1.古代時代における魔女(女性魔術師)関連の思想
 キリスト教世界における魔女関連の思想は、古代異教信仰、部分的な聖書の記述、キリスト教会が拡大した各地での土着信仰、民間信仰等、様々な要素を取り込みながら、中世から近世にかけて徐々に形成されていった。
 1.1.古代ギリシアにおける魔女の例
 ホメロス 『オデュッセイア』 、第10歌。オデュッセウスと魔女キルケとの出会い。魔法の薬を混ぜた食事を食べた者たちが豚へと変化していく。
 1.2.旧約聖書における記述
 旧約聖書において、「女呪術師」という言葉は見られるが、男性の呪術師の存在が前提とされたもので、異教信仰の影響を受けて魔術を行う男女が存在した。
「17女呪術師を生かしておいてはならない。18すべて獣と寝る者は必ず死刑に処せられる。」(出エジプト記22:17-18)
「26あなたたちは血を含んだ肉を食べてはならない。占いや呪術を行ってはならない。27もみあげをそり落としたり、ひげの両端をそってはならない。」(レビ記19:26-27) 魔術行為の禁止。男女双方に対して。
「霊媒を訪れたり、口寄せを尋ねたりして、汚れを受けてはならない。わたしはあなたたちの神、主である。」(レビ記19:31) 口寄せ=霊媒
「10あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、11呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。12これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。」(申命記18:10-12)
*反社会的な呪術行為への警戒。特に「魔女」というわけではない。
 
 1.3.古代教会時代における魔術への批判
 アウグスティヌス『神の国』「招神術に関するポルフュリオス の見解に見られる矛盾」、第10巻、第9章。「悪魔を呼び出すような魔術的なものは人心をたぶらかすもので排斥されなければならない。」→悪魔召喚の禁止。

 2.古代から中世時代までの悪魔信仰の推移
 世界中のどの時代、どの民族にも、悪魔や悪魔憑きのような民間信仰が存在しており、これらが民衆の中で生き続けてきた。精神を病んだ者が悪魔憑き、悪霊憑きと見なされる時代であったし、人心の乱れや不安感が増大する中でスケープゴートが立てられ、人身御供とされる現象も生じていただろう。一方で、これらに関わることへの公的な警告もあった。
 『司教法令集(Canon Episcopi)』、 906 年。深夜に女たちが異教の女神と共に飛行し、集会へ赴くという民間信仰に対して、悪魔によって引き起こされた幻覚に過ぎないから誤りであるという見解を示している。
 11世紀に入ると、人々の宗教心の高まりと共に、魔術への関心も高まる。当局によって魔術は従前より処断すべきものであったが、一層その対応に迫られていった。同時に、急進的な異端的キリスト教グループがこの時代に発生していき(12世紀半ば以降のカタリ派、ワルド派等)、異端の摘発と悪魔信仰が結びつけられていった。
例 サン=ヴィクトルのフーゴー『ディダスカリコン』(1120年頃)、トマス・アクィナス『対異教徒大全』(1260年前後)→悪魔崇拝、魔術への批判。悪魔と人間との性交。
 教皇ヨハネス22世による教書『スペール・イリウス・スペキュラ』(1326年)。魔術の取り締まりを強化。ただし、この時代の取り締まりにおいて対象となっているのは、魔術研究を行い、魔術的儀式を執り行うことができる高等魔術師・呪術師であって、魔女のような最も下位の僕ではない。パリ大学神学部による魔術への糾弾(1398年)。
 この時代の魔術取り締まりに関する記述が、後世の魔女狩りを支持する人々により権威づけとして利用された。
 教皇エウゲニウス4世『異端審問官ポントス・フジェロンに宛てた書簡』(1434年)、『異端腐敗を取り締まるすべての異端審問官に宛てた手紙』(1437年)。悪魔崇拝者と他宗教の異端を部分的に同一視している可能性もあるが、その文面は、悪魔術を行う異端に対する憂慮する正義感溢れたもの。
 J. シュプレンガー 、 H. クレーマー『魔女への鉄槌』、1486年。ドイツで出版。悪魔と契約しこれに仕える魔女に関する体系的な理論書。また、逮捕から尋問、判決に至るまで、魔女裁判の詳細についても記されている。魔術ができないよう全裸にされ獄に繋ぎ、最初に自白の勧告、次に拷問へという処置について述べられている。
 ちなみに、ジャンヌ・ダルクの火刑は1431年。

 3.近世以降
 1517年の宗教改革以降、ヨーロッパ各地に戦乱が生じ、社会不安が増大する。他方、印刷技術の発明により悪魔学系魔術本が普及する(1580-1620年がピーク)。こうして、社会不安が「魔女」という形で新たな不安を生み出し、同時に、皮肉なことではあるが、社会的な不安と不満の解消手段として「魔女」というスケープゴートが立てられていく。この時期には、元々民間伝承に含まれていた魔術師や「魔女」に関する迷信が体系化され、それが事実として固定化され、社会状態の悪さは魔女の故であるとの社会通念が定着化していく。また、プロテスタントは、カトリックにおける迷信的要素を排除する傾向にあったが、悪魔に対する嫌悪は継承したため、これが魔女迫害に繋がっていった。

 この時代における著名な悪魔学者による魔女糾弾関連の書
ジャン・ボダン『魔女の悪魔狂』、1580年。
ニコラ・レミ『悪魔崇拝』、1595年。
アンリ・ボゲ『魔女論』、1602年。魔女術裁判における裁判官の訴訟手続き法。
ルドヴィコ・マリア・シニストラリ『悪魔姦、およびインクブストスクブス』、1700年頃。
 魔女に対する凶悪な訴追も過激化していく。密告の恐怖が、他者に罪をなすりつける相互不信を招き、スケープゴートとされる女性が急増し、その拷問、処刑の仕方も常軌を逸するものも少なくない。

4.18世紀の啓蒙時代
 18世紀以降、社会は啓蒙時代を向かえ、人権擁護、訴訟法整備も進み、また、迷信的なものからも解放されていき、魔女狩りは休息に収束していった。だが、魔女狩りと共通要素を持つような社会的シンドロームは現代においても発生する。例えば、1950年代アメリカにおける「赤狩り」「マッカーシイズム」等。

 コラム:いじめと、魔女狩りとの間の構造的共通性
女子が人気者の男子と語らい            ―不条理な事故、災害
→「なんであの子が?」(嫉妬・ネガティブ心理)  ―悪魔か魔女の仕業?
→「たぶらかしているのよ」(憶測)        ―あの人、魔女かも
→「そういえば前も別の男子と」(根拠ない関連付け)―そういえば夜に外出
→「へえ、そうなんだあ」(憶測の固定化)     ―サバト参加に違いない!
→「こらしめてあげなくちゃ」(疎外・弾圧)    ―自白させて罰しないと
→「LINEから抜いて、無視ね」(制度化)      ―疑わしきは拷問してよし
→「あの子も怪しいわ」(拡大)          ―他にも魔女はいるぞ
→「あたしも疑われたらまずい」(警戒、疑心)   ―疑われたらまずい
→「別の子がいじめられれば」(スケープゴート)  ―「別の人を魔女に」
→「ねえ、あの子怪しくない?」(意図的憶測)   ―「隣人の様子が」
→以降、無限ループ。

 注
  ホメロス:前8世紀後半。古代ギリシャ文学史の歴史を生んだ最大の詩人。二大叙事詩『イーリアス』『オデュッセイア』の作者とされる。文学、思想、美術等広範囲に影響を与えた。ホメロスの生涯、年代、業績については謎が多く諸説あるものの、今日では、紀元前7世紀の詩人アルキロコスとカリノスがホメロスに言及していること等から、紀元前8世紀後半に盛時を据えるのが一般的である。ホメロスの言語がイオニア方言を基調としていることから、この地方の出身と推測される。

  オデュッセイア Odyssey:『イリアス』と共にホメロスの代表作とされる英雄叙事詩。トロイヤ戦争終了後、帰国するイタカ王オデュッセウスの10年に渡る東地中海の漂流を物語る。留守中、貞操を守ってオデュッセウスの帰りを待ち続ける王妃に言い寄る男たちをことごとく打ち倒し、再び王位に就くという筋書き。

  ポルフュリオス:234-305頃。ギリシアの新プラトン派の哲学者。アテネでロンギノスに師事し、弁論術を学び、ローマでプロティノスから哲学を学ぶ。キリスト教徒に対して攻撃を加え、「キリスト教徒駁論」を著した(後に焚書とされ、断片のみ残存)。代表的著作:文献学的なホメロス研究書である『ホメロス問題』、他、『ピタゴラスの生涯』、『アリストテレス範疇論入門』、『禁欲について』。プロティノスの著作を編纂し、『エネアデス』を残した。

  ヤコプ・シュプレンガー:1436頃-95。ドイツのドミニコ会修道士で、異端審問官として魔女裁判に関わったことで知られている。ラインフェルデン出身。1477-88年、ケルンのドミニコ会副修道院長を務める。1481年、異端審問官に就任。1487年、異端審問の記録や手順、拷問方法を詳細に記した『魔女への鉄槌』を、ハインリヒ・クレーマーと共に執筆。この書は17世紀まで、魔女裁判のマニュアルとして読まれ続け、残虐な拷問方法等の拡大・浸透に多大な影響を与えた。





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