2025年6月4日水曜日

【新宗教・新興宗教解説】辯天宗(弁天宗) ー宗祖大森智辯、智弁学園の母体

 

ーーーレジュメーーー

【新宗教・新興宗教解説】辯天宗 ー智弁学園の母体


 1 基本データ

所在地:大阪府茨木市

総本山:如意寺(奈良県五條市)

創始者(宗祖):大森智辯(おおもりちべん) 智辯尊女

        旧名:大森清子、昭和42年逝去

後継者:大森智祥(おおもりちしょう)

    昭和62年逝去、「第一世管長」

信徒数:63800人程度 (1990年代後半は30万人)

宗教法人:昭和32年、宗教法人法による法人化

本尊:大辯才天女尊(だいべんざいてんにょそん、辯才天)

*但し、インドや日本における弁財天とは本体して同じとしつつも、一般の弁財天とは区別して辯才天としている。


 2 大森智辯と教団の歩み

1909年 奈良県吉野郡吉野村飯貝にて、

 吉井家の長女として誕生。名は清子。

 13歳の時、紡績女工となる。


1929年 高野山真言宗の僧だった大森智祥と結婚

 奈良県五條市、高野山真言宗十輪寺(じゅうりんじ) 住職

 2児の母となるが、原因不明の病に悩む。

 民間宗教者の指示で辯財天像を発掘

 寺内に祀ったところ、→病気が快癒


1934年 寺の庭で草むしり中に気絶し、大辯才天女尊より天啓を受ける。

 「身代わりとなって、現世にあって、人の苦しみ、悩みを救うがよい」


1934年 霊的な予言により悩みを解決していく。

 人々から「辯天さま」「神代さん」などと呼ばれる。


1939年 大阪の太融寺(たいゆうじ、高野山真言宗)

 にて修行


1948年 十輪寺内に辯天講の本部を設ける。


1952年、辯天宗を立教。

 本尊を大辯才天女尊、自らを宗祖智辯尊女とする。


1955年 茨木桔梗殿落慶祭典、御本尊分霊遷座式執行


1962年 辯天宗東京本部、東京都墨田区向島に設置


1963年 五條本部を「大和本部」、茨木本部を「大阪本部」と改称


1964年 大阪本部(冥應寺)本殿落慶大祭典


1965年 智辯学園高等学校(現 智辯学園中学校・高等学校)開校


1967年 2月15日 宗祖智辯、御遷神(逝去、享年57歳)


1987年 大森智祥第一世管長、遷化(逝去)


1988年 大森慈祥(長男)副管長、第二世管長に就任


2018年 大森慈祥(じしょう)第二世管長、逝去

     長男の光祥宗務総長が第3世管長に推戴、

     光祥氏長男の寛祥・新統を宗務総長に任命

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