撮影場所:茨木春日丘教会 牧師室
想定実施礼拝説教日:2025年4月13日
想定実施礼拝説教場所:日本基督教団千里丘教会
聖書箇所:マルコによる福音書 1章1節
「1890年日本基督教会信仰の告白」の該当箇所
「我らが神と崇むるイエス・キリストは」
マルコによる福音書 1章1節の本文
「神の子イエス・キリストの福音の初め」
ーーー 説教テキスト ーーーー
2025年4月13日 千里丘教会
「我らが神と崇むる主イエス・キリストは」
(日本基督教会信仰の告白(1890年制定)・講解説教 第1回)
今回から、日本基督教会信仰の告白 1890年制定、という信仰告白の、講解説教をいたします。2ヶ月にい一遍の飛び飛び日程にはなりますけれども、合計で6回予定しています。まずは、日本基督教会信仰の告白とはなんなのか、というところから始めましょう。
茨木四教会のいわゆる「母教会」は、茨木教会になります。この茨木教会、以前は日本基督教団の教会ではありませんでした。なぜなら、その時代にはまだ、教団はできていなかったからです。創設当時の茨木教会は、日本基督教会という教団の教会でした。日本基督教会というのは、改革長老主義とか言われている教派のグループで、日本のプロテスタントキリスト教史の最初期から重要な役割を担ってきたところです。そちらが、茨木の地で宣教して、茨木教会が成立したというわけですね。
その日本基督教会が、後でも触れるところの1890年、信仰告白を制定いたしまして、それこそが、1890年日本基督教会信仰の告白になります。
ここで、もう少し歴史を下っていきましょう。
第2次大戦開戦の1941年、政府による思想統制・宗教弾圧も甚だしい中、他の教派も一緒くたにされて、強制的に一つの教団にまとめられてしまいました。それこそ、「日本基督教団」というわけです。ところがところが、やがて太平洋戦争が終わりますと、政府の強制力もなくなり、晴れて自由になったと。その際、先の日本基督教会の教会は、二つのパターンに分かれました。一つは、教団を出て、今一度、日本基督教会を設立するというもので、今日の日本基督教会という同名の教団がそうです。もう一つは、教団に残り続けるというパターンです。茨木教会がそうでした。
それならば、教団の中で、かつての日本基督教会のグループで寄り集まって、協力関係を持ちながらやればいいじゃない?と思いません?しかし現実は、各個の教会バラバラのまま。それではあれだというので、教団紛争などもあって荒れたこともあり、結成されたグループが、連合長老会です。けれども、かつての日本基督教会の流れを汲む教会が、こぞって加盟したかというと、そうではありませんでした。その必要はあるとする界隈、ないとする界隈、まあ色々。大人の世界の物事って、そうそう一つには決まらないと。で、茨木四教会は、加盟しない方という方になります。
ただ、やはり私たちの源流に遡って、協力関係の構築を進めようじゃないかと四教会で意志決定が為されまして、最終段階まで来ているという次第です。その連合長老会は当然、先の1890年日本基督教会の信仰告白を軸に据えていますから、我々の源流の時代、そしてそこから生み出された信仰告白を見ていこうではありませんか、という主旨でしております。ちなみに、私なぞの考えでは、「それならそれで講解説教をするによし!」と思って即行動で現在に至るなのですけれども、連合長老会出身の茨木の大橋新先生から、「いやあ、あれで講解説教なんてした人、ほぼほぼ聞いたことないですよ。画期的!完全原稿で残しておいてくださいね」とか言われまして、どうやら大変珍しいそうです。
ということで前置きはさておきまして、1890年という日本の時代を振り返ってみることから始めてみましょう。その1年前の1889年といえば、なんでしょう。JR京都線で吹田を通る時、アサヒビールの工場がありますよね。白い建物の上の方に看板がある。そこには、ASAHIとアルファベットの文字。それと共に、1889という数字。これは、アサヒビールの前進、大阪麦酒が誕生した年です。これが一つ。まあ、日本近代化の黎明期、富国強兵真っ盛りの時代。そしてもう一つが本丸です。ひとこと、大日本帝国憲法の発布の年。
大日本帝国憲法の最大の特徴とは、天皇主権です。現在の憲法は、国民主権。富国強兵、近代化を推し進める日本国家は、天皇主権国家を成立すべく、伊藤博文が起草して憲法を定めました。そしてその後の日本は、軍国主義化、ファシズム化、全体主義国家に傾倒していき、1925年、大正14年、「治安維持法」成立。国家の意にそぐわない言動、結社、宗教結社含め、取り締まり、弾圧の対象となります。その後、ちょっと時代はあきますが、1936年2月26日、かの226事件もありつつの、第2次大戦開戦の1941年、先の日本基督教団成立と相なったというわけです。
ということは、当時の日本基督教会、大日本帝国憲法発布の翌年というタイミングで、もちろんこれを意識して、1890年の信仰告白を制定したという背景があります。
ただし、この年に、日本基督公会、日本基督一致教会を経て、新たに日本基督教会となった年で、これに合わせて、信仰告白も制定したという次第でもあります。その教会と信仰告白の基本精神なのですが、長老主義という教派的伝統は継承するけれども、事細かにガチガチに行くのはやめよう、という意志が働いています。私が生まれて初めて行った教会の富士見町教会、その創立者でもある植村正久という人は、特にそうでした。だから、信仰告白も短いのです。これっという教会方針、これっという簡易な信仰告白、それをベースにすれば、「後は自由でよし」といった、自由と規範性のバランスの取れた教団なのです。
とはいえ、この信仰告白の文言を私なりに分析しますと、まあー、先の日本国家の行く末をバリバリ意識していますよねえ。というのも、こちら、短い上にバランスが偏っているのです。(信仰告白の全文を皆さんにお渡ししようと思ったのですが、まだこの体制に入って2周目で、あたふたしているところに長老や他の方々の手を煩わせてもと思い、まあ今日はさわりの話で必要ないこともあり、用意しませんでした。次回は用意するつもりです)
例えば私たちが慣れ親しんでいる使徒信条も短いものですが、ここで思い起こしてみてください、我は天地の造り主全能の父なる神を信ず。とあり、その後は、我はそのひとりご、イエス・キリストを信ずとあって、聖霊が出てきて、教会も出てきて、罪の赦し、甦り、とこしえの命も出てきて、もう全部まとまって出てくる上に、整然と美しく構成されているわけです。
ところが一方の1890年の信仰告白、十字架、受難のキリストがいきなりバーン。その後は聖霊の働きが我らに働くとあって、キリストの復活はどこ?父なる神はどこ?となると。ただ、結びに、基本的な事項は世々の教会の信仰に従うとあって、使徒信条を引用して終わるという構成。
ということは、使徒信条のように全体をこまごま触れることはしないよと。それは使徒信条に代表される、正統的な信仰を重んじるから、その代わり前半の方は、俺たちがこれって思う内容をズバッと述べさせてもらうね、という主旨になるわけです。
以上、先の天皇主義という歴史的背景と合わせて、書き出しを読むと、こうです。「我らが神と崇むる主イエス・キリストは」。当時の今、日本ではいよいよ天皇が神とされた日本社会ができた。でも私たちキリスト教の教会は、何を神と崇めるか。天皇か、否、これだ、ということで、とりわけ、三位一体の神の中でも、キリストからまずもって入るということです。そして、キリストに含まれる数ある項目の中でも、キリストの苦しみ、受難、十字架の死であると。つまり、我々日本基督教会は、これから日本を輝かしい国家へと導く天皇を神として崇めるのではなく、私たちが仰ぐのは、無惨に十字架死を遂げたイエスであると。そして、それによって贖罪の業を果たした方であると。
そしてその次、キリスト教信仰は国家に対する敵性信仰と見なされることになるので、つまり迫害。そうした中でも我らにまことの真理を示し、その信仰に留まらせてくださる力の源、それが聖霊です。だから、聖霊を次に挙げているのではないかと。最後は、今までの教会の伝統から離れずに、そのラインに自分たちはあるとのことで、使徒信条。
こうして見ますと、いわゆる青年の主張ではないのですが、まあー、緊迫感と情熱が読み取れて、私、久々にちょっと前にこれを読み直しましたら、「うわ、なにこのバランスの悪さ、でも凄い気概!」と仰け反りました。それで、マルコ福音書と似ているじゃない、と思ったのです。
ということで最後に、マルコ福音書の1章1節を聖書箇所にしております。マルコ福音書の背後には、学説の一つにはローマ皇帝の皇帝崇拝があるというものがありまして、私もその立場です。そう見ますと、「神の子イエス・キリストの福音の初め」とある。ローマ皇帝が神格化されて、「神の子」と呼ばれていました。即位式、後継者誕生となれば、それが「福音」と呼ばれていました。
これを神として崇めよ、さもなければ、弾圧・迫害される時が来つつある。そんな中で、まことの神の子とは誰か。本当の福音とは何か。それはきイエス・キリストだと。その業の実現が福音であると。
それで、この書き出しの後、マルコが描くキリストは何かというと。復活ではないのです。いや、復活は肯定していますが、彼がメインで語りたいのは、まずもって、受難のキリスト。人々から排斥されたキリスト。十字架で死なれたキリストなのです。だから、復活は予告だけで留めているのです。
同時に、迫害の時代が来ること、しかし裁きの座に引き摺り出された時に、聖霊の働きがあるから、それに身を委ねよ、というメッセージを強調している。そういうわけで、1890年の信仰告白は、マルコ福音書のラインと似ている、ということです。今日はここで終わります。
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