史的イエス研究史
1. H. S. Reimarus と D. F. Strauss
史的イエスに対する最初の歴史批評的アプローチは、宗教学の研究者 Reimarus によって提唱された。本テーマに関連する Reimarus の主要な論点を以下に略述する。
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イエスの言葉と使徒的信仰の区別、及びユダヤ教的コンテキストにおけるイエスの思想理解の必要性
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使徒的信仰におけるキリストと歴史的イエスの相違は、弟子たちによる復活の事実の捏造に起因すること
彼のコンセプトは、Strauss によりヘーゲル的理論の応用という形で継承された。ヘーゲル左派である彼は、旧約学における神話的概念の福音書への適用から、イエス伝承を超自然的な解釈と合理主義の弁証法的な形成過程を経た複合体と見なす。
彼らの議論の問題点は、共観福音書間の文献学的考察の欠落にある。
2. Reimarus から Holtzmann へ
自由主義神学者による研究の特徴は、Historical Criticism による完全な史的イエス像の再構成を可能であるとする楽観主義、そして研究の動機が教会のドグマからの信仰的解放にあるということである。二資料仮説の Holtzmann に代表されるこの時代は、資料の文献学的考察の発展という方法論的拡充によって特徴付けられる。
3. Schweizer から Bultmann へ ― 第一の波の終焉 ―
第一の研究の波は、A. Schweizer、W. Wrede らと共に最終局面を迎え、R. Bultmann によってその頂点と次世代への転換を迎える。
A. Schweizer は『史的イエスの探求』において、イエスの生涯の叙述は著者が持つ倫理的理想の投影であるとし、一方、W. Wrede はマルコ福音書全体の構成に対し作用している非歴史的な「メシアの秘密モティーフ」を指摘した。この時期の研究者の特徴は、執筆者の編集史的関心(資料の偏向的性質)を焦点としていることである。
史的イエスと信仰のイエスの乖離が進行する中、R. Bultmann は自覚的に史実と信仰の間にある非連続性に焦点を合わせ、両者の乖離を実存主義的に克服しようと試みた。それは、ケーリュグマのイエスに示された神的呼びかけに対する実存主義的応答として要約される。こうした過程から Neues Testament und Mythologie が著され、新約における神話的フレームを解体する「非神話化」が提唱された。
4. 第二の波
ブルトマンの業績を批判的に継承し、超克を企図した研究者として Käsemann や Bornkamm らを筆頭としたブルトマン学派が挙げられ、彼らにより第二の波は起こされた。彼らは第二の波の問題点を、宗教史的コンテキストにおいて史的イエスの固有性が解消化されることとし、イエスの自意識にその固有性を求めた。この学派の特色は、以下の二点を前提としていることにある。
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史的イエスとケーリュグマのイエスの連続性は、イエスの自己意識の中で保持されているという前提
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こうしたイエスの自己意識に、宗教史的に還元し得ない史的イエスの固有性がなお確保されるという前提
第二の探求における問題点は、宗教史的コンテキストからのイエス像の抽出という作業に、研究者自身が求める実存主義的な教師像という歪みが作用したことであった。
5. 第三の波
史的イエス研究第三の波は、主に英語圏を中心に、ブルトマン学派によって展開された第二の波の衰退と共に訪れた。方法論的には第三の波は第二の波と変わらないものの、第二の波における神学的考察は、徹底的な社会学的・文化人類学的分析と伝承解析に取って代わられた。研究の焦点は、ユダヤ教的コンテキストにおけるイエスの固有性から、宗教史的フレーム内におけるイエスの再定義へと転換した。
以下、代表的研究者の説を一覧に示す。
| 研究者 | 史的イエス像 | 思想的特徴 |
|---|---|---|
| G. Vermes | ユダヤ教的教師 | ユダヤ教的終末論 |
| A. E. Harvey | ユダヤ教的教師(「歴史的拘束」)の独自利用 | ユダヤ的遺産、現在的終末論 |
| E. P. Sanders | ユダヤ教復興者 | 終末論的神殿復興預言、ユダヤ教とは非対立的(「契約遵法主義」) |
| M. J. Borg | 社会改革運動・知恵の預言者 | 「憐れみ」という伝統的パラダイム、非終末論的 |
| J. D. Crossan | ユダヤ人小作人・キニク派の教師 | 非終末論的 |
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