ーーーレジュメーーー
【キリスト教史】霊的な熱狂的終末論者モンタヌス(モンタノス)とモンタニズム
1 要約
・モンタヌスにより2世紀中葉から後半にかけて興隆した、
キリスト教の熱狂的分派による終末論的運動。
・小アジアのフリギア(フリュギア、現・トルコ西部)で霊的預言活動を展開
正統教会側より禁じられたため北アフリカに移住。
以後、ローマ、ガリアまで伝播。
・これにより、正統教会側は終末思想を警戒するようになり、
距離を置くようになった。
2 モンタニズム(モンタヌス主義)
・モンタヌス(Montanus, ?‐c. 170 CE)を始祖とする熱狂的・霊的終末論的運動
・2世紀中葉から後半。
3 モンタヌス
・アポロンもしくはキュベレの神官であったと推測
生い立ちその他の詳細は不明
・152/157年頃、小アジアのフリギアにて、預言活動を開始。
女性預言者プリスキラとマクシミラを伴って
トランス状態での預言が特徴。
千年王国の到来の告知。「天のエルサレム」が到来すると。
=終末思想的:キリストの再臨と千年統治
・厳格な禁欲生活の実践を説く。
4 モンタヌス主義運動の展開の推移
・一時、小アジア全体に拡大
・しかし、小アジアの(正統的)教会がこれを禁止
モンタヌスは北アフリカに拠点を移す
・テルトゥリアヌスが207年頃にモンタヌス主義運動に一時参加
・同運動はドナトゥス派にも影響。ローマ、ガリアまで伝播
・ローマ司教ゼフィリヌス(在位199‐217)、カリストゥス1世(在位217‐222)
同運動を異端とみなして弾圧政策を取る。
理由:1 聖書における神の啓示からの逸脱。←霊的トランス状態の普遍化
2 職制、聖職者の権威の否定
325年のニカイア公会議以降、正統的なニカイア派による弾圧
・これにより4世紀以降、同運動は収束
・最終的には8世紀まで存続
重要:同運動を契機に、正統教会側は終末思想を警戒するようになり、
距離を置くようになった →正統教会側の安定に寄与
ーーー解説テキストーーー
要約
2世紀中葉。モンタヌスにより2世紀中葉から後半にかけて興隆した、キリスト教の熱狂的分派による終末論的運動。小アジアのフリギアで預言活動をし、禁じられたため北アフリカに移住。ローマにまで伝播。
[Summary]
Mid-2nd century. Eschatological movement by an enthusiastic offshoot of Christianity.Rooted in the mid to late 2nd century by Montanus.Montanists prophesied in Phrygia in Asia Minor; forbidden to do so, they migrated to North Africa.The movement spread to Rome.
本文
モンタニズム、またはモンタヌス主義は、モンタヌス(Montanus, ?‐c. 170 CE)を始祖とし、2世紀中葉から後半にかけて興隆した熱狂的キリスト教終末論運動を指す。
モンタヌス
モンタヌスについては、アポロンもしくはキュベレの神官であったと推測される以外は、彼の生い立ちに関する詳細は不明である。
152年頃より小アジアのフリギアにて、女性預言者であるプリスキラPriscillaとマクシミラMaximillaも加わり、恍惚状態を伴う預言活動を開始、千年王国の到来を告知すると伴に、禁欲生活の実践を説き、同運動は一時小アジア全体に拡大した。しかし、小アジアの教会がこれを禁止したため、モンタヌスは北アフリカに拠点を移した。
因みに、テルトゥリアヌスが207年頃にモンタヌス主義運動に参加している。同運動は、ドナトゥス派にも影響を与えた他、ローマ、ガリアにまで伝播した。
ローマ司教ゼフィリヌス(在位199‐217)、続くカリストゥス1世(在位217‐222)は同運動を異端と見なして厳格に対処し、以後も正統的なニアイア派が弾圧したため、4世紀以降はモンタヌス主義も殆どは収束したものの、最終的には8世紀まで存続したようである。
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